英文法ー仮定法

2022年6月22日 (水)

仮定法現在のメカニズム

以下 豊岡短期大学論集 No.15, 47~56(2018) 仮定法現在についての一考察 西 村 豊 からの引用を要約しました。
例文はおよび論文の要約は私の作成です。ミスがあればブログ主に責任があることを明記します。

西村さんの考察には私もとても感動しました。私も、仮定法現在は「命令文と同じ!」と指導してきましたので、理論的バックグラウンドが得られた思いです。高校での指導にぜひ活かして行きたいです。

 

以下論文の要約

仮定法現在
は、「動詞の原形」をとることで知られています。
これは、学校文法では以下の2つでよく見られるものでしょう。


(1)条件、譲歩、時を表す副詞節中
(2)要求提案の動詞のうしろにあるthat節中


(1)は、原形を使うのは、話し手の頭の中だけにあることで、現実になってないからですね。
原形は無色であり、現在形とも過去形でもありません。まだ現実世界にないことを原形で表しました。


大昔は 以下の a.の書き方で、動詞の原形という、時制的には無色透明の表現で、書き手の判断の中立性を示していました。
しかし、「まあわかるよね」ということで次第に b. のように現在形に置き換えられて今では現在形のみになっています。
原形が現在形に置き換えられたパターンです

a. If it (be) fine tomorrow, I will be happy.
b. If it ( is ) fine tomorrow, I will be happy.

(2)は、現在形に置き換えられず、原形のまま残ったパターンです。では、どうして、(2)では、原形のまま残ったのでしょうか。同じ that節でも、動詞が違うようです。

that節をとる動詞は「事実性の動詞 factive verb」と「事実性ではない動詞 non-factive verb」があります。I know that...のknowは事実性を表す動詞の一例です。一方で、I think that...のthinkは、話し手の判断についての話しのため、事実性ではない動詞の一例と言えます。

knowを始めたとした事実性を表す動詞のthat節内では、当然、原形の出番はないのです。一方、話し手の判断や意見、要望など、事実性ではない動詞のthat節内では原形の活躍する余地があることが分かるでしょう。

とはいえ、thinkは事実性ではない動詞 ですが、I think that...の中で、原形が使われているとはとんと聞きません。どうしてでしょうか。それはこういう理由からです。

「話し手の頭だけにあることで事実ではないこと」は「原形」で述べると言いましたが、think (supposeも)は、動詞そのもので、話し手の判断をすでに表してます。そのため、わざわざ「それが現実になっていない」=「無色透明の原形」を使う意味があまりないのです。直説法で書くのが普通になってきます。

c. I think that he ( be ) a doctor.
d. I think that he ( is ) a doctor.

上記のように誤解が生じないものについては現在形になっていったようです。

最後に、non-factive verb のうちで think, suppose 等が従える that 節では仮定法現在を使わなくなっている一方で、 order, demand, request 等の Suasive verb(勧告動詞)や important, necessary 等の形容詞(Request Adjective)が従える that 節では、現在なお仮定法現在が用いられているのはなぜでしょうか。

e. They requested that Tokyo (hold) the Olympic games.
f. It is necessary that Prime minister Suga ( tell ) us a new foreign policy.

同じ non-factive verb でも think 類と order 類ではその動詞の持つ機能が全く異なるそうです。
 think 類....自分自身の内にとどまる判断を表す動詞
 demand類.... は 主に自分以外に対して働く対外的な動詞です。important 類の形容詞(Request Adjective)もそれに準ずる働きをするそうです。自分以外に働きかけるということは「命令文」と同じではないでしょうか。

Quirk et al.(1985: 155) は order, demand や important 類の従属節をMandative Subjunctive(命令的仮定法)と呼んでいます。Quirk et al. は、動詞が原形をとっているのは命令文の力(imperative の法性)によると考えている ようです。つまり、現在残っている仮定法現在は「広義の命令表現」ということです。

また別の研究者であるボリンジャーさんは、「仮定法現在は埋め込まれた命令文である、というよりはむしろ、命令文こそが解き放たれた仮定法である」とまで述べているようです。

いずれにせよ、 Quirk et al. をはじめ、研究者の方々は、that 節の仮定法現在が命令文の力があるいうことでは一致しているようです。それが that 節に仮定法現在が用いられる理由であると考えられます。

e. They requested that Tokyo (hold) the Olympic games. 重要だからオリンピックやれよ!という命令文が隠れている。
f. It is necessary that Prime minister Suga ( tell ) us a new foreign policy. 重要なんだから教えろよ! という命令の力が隠れている。
 

2015年1月11日 (日)

0524 -150111 It is 形容詞 that S should V....

It is 形容詞 thatのうしろに shouldVを使うことがある。

このパターンをとる形容詞はおおむね2種類にわけられる。

まず、desirable(望ましい)necessary(必要だ)important (重要な)組。
これらの形容詞は暗に「〜しなさい」という命令の意味を含んでいる。「望ましいから、必要だから、重要だから〜しなさい」というわけだ。
実はこれって、要求提案の動詞の場合と同じ。that節には命令のニュアンスを含む、原形動詞がきたり、shouldV(すべきだ)という命令に近い表現が置かれるのは当然ということになる。
It is necessary / that we (should) improve this system.
このimproveは現在形ではなく、原形である。
.............................................................................................................
2つめの形容詞グループは、natural(当然だ、おかしくない)、strange(不思議だ)surprising(驚くべきだ)、sad(悲しい) 話手の気持や価値判断をする形容詞。これらのうしろには「事実」と話し手が考えていることであれば、直説法の文がくる。

It is natural that he is angry.  彼が怒っているのは当然だ。(彼が怒っていることを事実として知っている)
一方、that節にshouldをとることもある。これは、that節の内容が本当のこととはまだ言い切れない場合。その可能性は十分あるが、もしそうだとしたら(そうだとしても)と、事実ではなく、「純粋な想念」の世界の話しとなる。
It is natural that he should be angry. 彼が怒っているとしても(その可能性は高いが)それはもっともだ。
It is strange that he should readily accept such a job. (表現のための実践ロイヤル英文法)
彼が簡単にそんな仕事を引きうけるなんて不思議だ。
 *that以下の話しが耳には入って来てそうなのかもしれないが、疑っている気持がshouldという表現にでたのかもしれない。
2つめの形容詞群は、that節には直説法か、should Vを使うことになるのだ。

一方、最初の形容詞群が、that節に原形(仮定法現在)か、should Vを使うことになるのと対比しておきたい。

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2015年1月 5日 (月)

0523- 150105 as if....

as if まるで〜かのように

1)He speaks /= as if he was a native speaker.
  彼は話す      まるでネイティブであるかのように。
2)He spoke /= as if he was a native speaker.
  彼は話した      まるでネイティブであるかのように。
主節の動詞の時制に関係なく、もし、as if節と主節の時制が同じならば常にas if以下は仮定法過去にする。主節が過去形になったからといって、as if節も連動はしない。
その一方で、主節とas if節の時制がずれていたら、as ifのうしろは、had Vppの形にする。この場合も主節の時制は関係がない。
さらに言えば、as if節の中では原則、状態動詞 (be, have, knowなど)しか使えない。(ただし、反復を感じさせる場合は、動作動詞でも可である)
3)  People are behaving  / as if nothing had happened.
4)  People were behaving / as if nothing had happened.
主節が過去形でもas if節は時制の一致の規則の適用を受けないためだ。4)などは本当はさらにひとつ時制をさかのぼる必要があるのだが、仮定法にはその形は用意されていない。
5)He looks as if he is sick.
        彼は具合が悪いようだ。
このようにas ifの後ろは常に仮定法というわけではない。上の5)を述べた話者は彼が具合が悪いことを信じている度合いが高い。そのような場合には、was ではなく、isとし、仮定法としては扱わない。このようにas if以降が仮定法になりずらいのは、主節にlook, behave, feel, soundなどが来ている場合で現在形である場合だ。自分が見たり、聞いたり、感じたことを元に述べるので、「実際にもそう感じられる」からと思われる。
ガンジーの言葉を。
Live as if you were to die tomorrow.  Learn as if you were to live forever.
生きよ   明日死ぬかのように。    学べ  永遠に生きるかのように。
最後に英会話でしめくくります。
Are you her boyfriend?   (君彼女のカレ?)
As if!  (まさか!そんなことはありえない!)
                       Mahatma Gandhi 

2014年12月29日 (月)

0518 -141229 仮定法未来という用語の罪

If 過去形ー仮定法過去
If過去形は最もスタンダードな仮定法の形で高校で習うものだが、案外理解されていないのではないだろうか。実はこの形には動詞の種類によって主に次のような2つの役割がある。
1)過去形のところに状態動詞(be, have, knowなど)が来て、現在の事実と逆のことを述べる。If I were you, I would ask them for a help.  *提案の表現になることもある。

2)過去形のところに動作動詞が来て未来のありそうもないことを仮定する。
 If I became Prime Minister, I would abolish the law. 

 学校教育ではなぜか、2)が抜け落ちている。仮定法過去に「可能性がかなり低い未来を述べる用法がある」ことを知らない学生が多い。仮定法過去は、1)現在  2)未来  両方述べる言い方なのだ。ここですでに「仮定法未来」という用語が破綻していることがわかるだろう。

If shouldとIf were
to...
では学校で仮定法未来と習った、If shouldと、If were to... はどうであろうか。
If shouldは仮定法未来と言われているが、帰結節(主節)はほぼ、命令文か、willが使われることを考えれば、仮定法ではなく、直説法ととらえるべきである。つまり、「起こりうる未来」なのだ。
であれば、If現在形はどうか。If shouldは起こりうる可能性は20〜30%、If現在は起こりうる可能性は60〜70%とのことである。(英語語法レファレンスより)shouldを使っているのには意味がある。shouldは「偶然性」を意味する。確実に起こることではなく、自分の意志によって起こることでもなく、偶然に起こるようなことについて述べる。これにより、起こる可能性が下がるのである。
If were to.... は、if過去形とほぼ同じ
if were to..の帰結説は動詞や助動詞の過去形がくるため、純粋な仮定法である。ここが ほぼ直説法(ありうる未来)であるIf shouldと最も違う点である。If 過去形は未来を表すことがあると述べたがその可能性は、
   were to... <  過去形  である。
理由は、were to...は現実世界に根ざしていない完全な空想世界のことを述べることができるからだ。このようにいうと仮定法自体が空想の世界のことを述べる表現ではないかと言われるかもしれないが、If過去形のほうは「現実世界のできごとをもと」に英文を作っているのだ。 If I became Prime Minister, I would abolish the law.  現実世界に話者が「これはひどい。廃止すべき。」という法律がある。これを立脚点として、「もし自分が総理なら」と仮定法を述べている。これが現実に根ざした仮定法である。ところが、If were to... は、現実に根ざしたことをもとに英文を作らなくてよい。「もし仮に明日地球が滅亡するとしたら、どうする?」どこにも現実との接点がない。つまり起こる可能性が0%の未来を述べられるのだ。ところが、ネイティブによっては、起こる可能性は5%程度だという人もいる。「綿貫・ピーターセン」によれば、「were toは想像世界からの発言であるから、話し手は全く実現不可能な家庭から実現の可能性のある仮定まで自由奔放な発想ができる」とのことだ。これが意味していることは大きい。つまり、If were to... は「西から太陽が昇ったら」とか「明日地球が滅亡したら」という100%ありえない仮定を述べるだけではなく、If過去形とほぼ同じように(If過去形より起こる可能性はさがるが)使えるのだ。
つまり、未来については次のように使えるということになる。

were to 0〜5%
過去形  10%
.....................
should  20〜30%
現在形  60〜70%
上二つは、話者がまずありえないだろうと思っている未来に使い、下のふたつはありえるかもと思っている未来のことに使うということになる。

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2007年9月 2日 (日)

0080-070901 仮定法未来にはなぜshouldを使うのか?スッキリ。

なぜ、「仮定法未来はshouldを使うんだろう?
未来なのになぜwouldを使わないんだろう?」と
ずっと思っていました。その疑問が氷解しました。

実はshallの意味が「天の意志、運命である」ことが
その理由でした。


willは「その場で決めた意志」であるのに対し、
shallは「神・天の意志。逆らえない運命」です。

I shall return. 
「戻ってくるのが(天が決めた)当然の私の運命。」堅い表現。
I'll be back. 
自分の意志を反映。「きっと戻ってくるよ」気軽な感じ。

Shall I help you ? 
個人の意志というより「私はあなたを助ける運命にあるだろうか?」
遠回しな言い方。丁寧な言い方になります。

Shall we dance?
「我々二人の運命は踊ることになるでしょうか?」→踊りませんか?  
気取った言い方になる。
Let's dance.
「踊ろうよ」気軽な感じ。

shouldはshallの過去形
助動詞の過去形はとおまわしな意味になります。
「〜すべし・当然〜する運命にある」が
「〜した方がいい・〜するはずだ」と意味が婉曲的になります。

仮定法は確定していないことを述べるわけですから、当然、助動詞の現在形
(断定調)をさけ、助動詞の過去形(過去ではなく婉曲)を使って表そうと
します。ちなみに、条件節に助動詞を使ってはならないという決まりはあり
ません。

仮定法未来は単なる未来ではなく、「あり得なさそうな未来です。」
自分でどうとでもできる、個人の意志を述べる(will-would)でなく、
自分ではどうしようもない(shall-should)を使った方が仮定法未来にぴったり
だと思いませんか。

If  shouldは、「もし〜する運命であるなら」を
「万一〜すれば」と訳したわけです。
自分の意志というより、自分がどうしようもない「天の意志」。

If you should see him,   たぶんないと思うけど、もしあなたが彼と会う運命なら
please tell him to call me.   電話するよう言ってください。

ではShall I 〜?はアメリカ英語ではあまり言わないのか。
僕は何かでそう読んだ記憶があります。
アメリカ人は
Do you want me to 〜?と言い、相手の意志を尊重する言い方を好むそうです。

運命 VS 個人の意志。 厳かな言い方 VS気軽な言い方 
英語学習はつきることがありません。
またひとつ疑問が氷解してすっきりしました。

2007年8月10日 (金)

I wishのあと 仮定法

I wish のあとには、仮定法の前の部分がくるんでしょ。と考えている生徒が多い。
じゃI wish I could fly in the air. はどう考えればいいの?と言うとうーんとなってしまう。

ここで確認。
<If S' V' .... , >    SV.....
もし〜すれば SはVするよね

Ifが入っている方を条件節、うしろの方を帰結節といいます。実は

「この条件節のifの代わりにI wishを入れた」と思えば楽に理解はできます。

If I were a bird,    = I wish I were a bird.
If I was smart,     = I wish I was smart.

じゃ、I wish I could fly.  はどうなのよ? 条件節でなく帰結節が来てるじゃないと考える人もいると思います。

しかし条件節の方で助動詞が使えないと誰が決めたのでしょう? 実は使えちゃうのです。

If I could talk to him,        I could make myself undersood. 
もし彼と今話しさえできれば   今理解してもらえるのに。

すると、 I wish I could talk to him. 彼と今話ができればなあ。 になります。

If I could fly in the air,  I could come to you soon.
もし空を今飛べれば  今君のところにすぐにいけるのに。

これは、I wish I could fly in the air.  になります。

ね、条件節でしょ? 助動詞のcouldなどをつけるのは、「あーあできれればなあ」という「気持ちを込めたい」ときなんです。条件節の中でも十分助動詞は使えます。

ちなみに仮定法過去完了の場合はどうでしょう?

普通、過去形より昔はhadVppの過去完了を使うことが出来ますが、 couldには過去完了形はありません。どうすればいいでしょうか。 例え条件節であっても、could have vpp にすればいいのです。

If I could have solved the problem ,  I could have passed the exam.
もしあの問題を解けていたら   試験に受かったのになあ

I wish I could have solved the problem.
あの時あの問題を解けていたらなあ(と今思う)

助動詞could have Vppで、「できていたらなあ」という自分の「気持ち」を込められます。

つまり条件節でもいくらでも助動詞couldや、could have vppは使えるのです。

注意点を一つ。 I wish / I could solve the problem.は時制は同じ。
                今望む  今その問題が解ければなあと

        I wish / I could have soleved the problem.は時制はずれている。
        今望む あの時その問題が解けていたらなあと

        和訳の際は気を付けましょう。

2007年3月18日 (日)

副詞節の中でなぜ現在形を用いるのか?ー DRIPSのうしろは原形

仮定法現在

その昔、副詞節の中では未来のことも現在形で示すと言われました。

If it rains tomorrow, the school trip will be canceled. がそれです。

しかしこの正体は本当は仮定法(仮定法現在)です。昔は、「動詞の原形」を用い、その形で「(話す内容が)十分ありうるよ」ということを示しました。
たとえば「(梅雨の時期に)明日雨が降れば」は大昔は

□If it rain tomorrow, でした。

 原形ですから当然rainには3単元のsが付きません。
 この「仮定法現在」は古い英語で今は使われてません。
 現代の英語では、「仮定法現在」は「直説法現在」で「代用」されています

今では

□If it (rains) tomorrow, the school trip will be canceled.  とすることになっています。


次に、仮定法現在が使われているもうひとつの代表例が

要求・提案・依頼・希望などを表す場合です。

demand、request、desire、propose、suggest、require、insist


僕は、頭文字をとって「DRIPS のうしろは原形」と覚えよ。と教えています。
   (demand desire / request require / insist / propose / suggest )

このような要求提案の動詞の目的語となるthat節では、学校では「原形を使え」と教えられています。そして主節の時制にかかわらずthat節の動詞は「常に原形」にします。

□ Kate's father suggested that she ( visit ) her uncle more often.
□ Kate's father suggested that she ( be) more diligent.

原形を使うのはアメリカ英語イギリス英語ではshouldをつけて、(should visit)(should be) にします。実は、古い英語(つまり仮定法現在)を使い続けているのはアメリカ英語のほう。イギリスからピルグリムファーザー達がわたった当時の英語がまだ残っています。ところがイギリスでは古い言い方を嫌い、shouldをつけるようになったとのことです。ただし最近ではイギリスでも原形を使うこともあるとのこと。言葉はつくづく生き物だなと思います。

なぜ原形か?

英語ではまだ現実になっていないことは(話者の頭の中だけのこと)は時制は与えられず「原形」で表すんです。 He will be a doctor.   助動詞のうしろで原形を使うのもこのため。

Study hard.や、Be quiet. など命令文も原形。まだ現実になっていないから原形ですよ。

dripsという命令や提案の動詞のうしろで原形になるのも、that節の中が「〜しろよ」という命令のニュアンスがあるため。まだ現実になっていないことなので、原形なのです。

It is necessary that...のうしろも原形。形容詞が importantや、necessaryの場合、that節はやはり、「大切なんだから〜しろよな」というニュアンスになります。だから原形。

冒頭の、If it (rains)...のrainsも、もともとは、rain 原形でした。それが現在形でいいやということになって代用されるようになりました。命令文でもないし、要求提案の動詞のうしろや、助動詞のうしろにない動詞の場合、原形じゃ違和感があるのかもしれませんね。

最後に

 If節などでなぜ代用が起こったのでしょうか? やはりitのうしろが rainでは「落ち着かなかった」のではないでしょうか。ここからは想像ですが、人々は文法的真実より、「自分たちの感覚」を優先したのではないかと思われます。言葉というものは時代とともにどんどん移り変わるものかもしれません。

近代初期までは未来時制も現在時制で代用されていた。tomorrowなどの副詞さえあればいくらでも補ってくれたからだ。

その後、仮定法現在(原形)を使うようになった。

やがて仮定法現在(原形)のかわりに助動詞や現在形を使うようになった。

その結果、形容詞節、名詞節では willが残り、時の副詞節では現在形を使う用法が残った。時の副詞節には本来からあった「現在形が未来時制を兼ねる」という大原則が働いた。(重要)接続詞自体に時の前後関係を示す働きがあるので、(例 する前に等)主節が過去形でない限り、従属節は「未来」に決まっていたからである。 例 I'll go out / after I finish my homework  (英文法のカラクリがわかる より)

次の問題は要注意 (慶応大 改)

He will visit his grandmother next month, when ........
  1) he asks her to attend his wedding ceremony.
  2) he will ask her to attend his wedding ceremony.

  どちらでしょうか?

  答えは 2) 。実は カンマwhenで形容詞節です。名詞節と形容詞節の中では
  willは使い、時や条件の副詞節では現在形をつかうのです。

  かなり巧妙な問題と言えます。

  彼は来月祖母のもとをおとずれ、その時、結婚式への出席を頼むつもりだ。

 


 さて学校現場で歴史的な経緯を中高生に伝える意義はあるでしょうか? 中学生にはまだ無理だと思われます。高校生ならばこのことを疑問に思うレベルが高い生徒であれば教えてもよいと思われます。

 「仮定法現在は直説法で代用されている」ということを知っていたから英語の運用力があがるか?」答えはNOです。教師は歴史的知識をひけらかしてはいけません。それよりも、

 1)現在形は未来のことを含んでいること、

 2)時の接続詞があるので、willを入れずとも自動的に未来の意味になること

   (主節が過去形で無い場合)は伝えてもいいのではないでしょうか。

教えるべきタイミングをみて、あえて「教えない」か、または「副詞節_未来のことも 現在形」と、ルール的に教え「無用の混乱」を回避することも一つの選択肢であると考えます。

もうひとつ「仮定法現在」を説明しない方がいい理由は仮定法をめぐる用語です。前の仮定法のエントリーでも書きましたが、仮定法過去、仮定法過去完了、仮定法未来、これに仮定法現在が加わると混乱に拍車をかけるでしょう。

 

2007年2月17日 (土)

仮定法

仮定法過去、過去完了、未来

文法用語が生徒の学習を混乱させることがあります。
仮定法未来、過去、過去完了がそれ。
塾で先に仮定法を習ってきた生徒曰く、「仮定法未来、現在、過去となぜそろえないんですか?その方が混乱しない。
偏差値で65の生徒です。「未来、過去、過去完了」では用語がそろってないではないか、これわかりにくいよ」という主張です。 もっともな話です。

生徒には次のように説明します。「仮定法過去」等の文法用語は使いません。
○仮定法今バージョン
○仮定法あのときバージョン
○仮定法未来バージョン1,2
 という用語を使い説明します。

 この方が、生徒は理解しやすいようです。
 そして「時制をひとつ戻すんだよ」という説明に入ります。

○仮定法「今バージョン」
 ひとつ時制を戻し、 If (過去形)....,  would could V...
           今〜なら    今...なのになあ

過去形は過去のできごとを表す他に「事実とことなること」を述べるときに使う。たとえば、He was young. なら、実際は「今は若くない」。 たとえ「今」のことでも、過去形のスタイルを使うことで、現実とはちがう、空想の世界の話をする。

○仮定法「あのときバージョン」
 ひとつ時制を戻し、 If (had Vpp)...,     would could have Vpp...
          あのとき〜してたら .あのとき...だったのになあ 

○仮定法「未来バージョン」
 時制をひとつ戻す法則は、仮定法未来にも使えるのでしょうか。実は使えます。実は英語には本来未来形はありません。現在形を使って未来のことを表現しているだけです。よく使うwillも現在形ですよね。これを仮定法ではひとつ昔に戻し、wouldとします。未来を表す is to...(be to構文)もよく考えれば現在形の一種。つまり英語は現在形で未来を表す言葉ということです。is to Vも、一つ戻して were to Vとすればいいわけです。

 ちなみに were toの方は、「(絶対ないと思うけど)明日地球が滅亡するとしたら」等、起こる可能性を自分がほぼ0と考える場合に使い、shouldは「(たぶんないと思うけど)万に一つでも給料があがれば」と淡い期待(笑)をいだく場合に使う。未来のことはだれにもわからないから、自分が「将来起こりそうにもないな」という「度合い」に応じて、絶対にないだろうけどもし〜ならのwere to V,  と 万一ひよっとしてもし〜すればのshould Vの2つの言い方を用意しているわけです。

 一方、起きる可能性が高い場合「もし彼女にあったら 明日家にくるように伝えて」仮定法から離れ、If you (see) her, tell her to come to my house.  と現在形で表す。さらに可能性が高く、「当然そうなるだろうな」とあなたが考えることなら、Ifではなく、Whenを使い、When you (see) her, tell her to come to my house. とします。

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