0522 -150105 the+比較級、the+比較級
the+比較級〜, the+比較級....
the+比較級〜, the+比較級....
no less than.... no more than....というno比較thanは、noの部分が、比較級than以下の数字からとびでた部分やひっこんだ部分を否定し、差がないということを示す。差が0である。no less than 500 yen ・ no more than 500 yenは共に「ジャスト500円」という点では全く同じだ。no less than 500 yenは 500円より下回るだろうなあと思っていた期待が、「あ、500円だった。」だから「500円もある」となる。no more than 500 yenは、500円を上回るだろうなあという期待が、差が0で500円ジャストだった。だから「たった500円かよ」となる。つまり、more than 500 yenでは500円以上だろうなあという期待が裏切られ、差が0だったので、「500円しか」 less than 500 yen 500円より下だろうなあという期待が裏切られて、差が0だったので、「500円も」となる。期待が裏切られるのである。no(マイナス)× more(プラス)=マイナスに期待が裏切られる。「500円しかない」no(マイナス)×less(マイナス)=プラスに期待が裏切られる。「500円もある」私的にはこれを「裏切りの no less than... / no more than...」と呼んでいる。
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一点目は、形容詞の種類を指導者側でわかって指導しているかという点.
形容詞には尺度形容詞と、評価形容詞の2つがある。
尺度形容詞は、big / small , old/ young, tall / small, high / low, deep / shallow , long / short , difficult/easy , fast / slow などの対になる形容詞が多い。
尺度形容詞は実は「相対的」。 Kate is as tall as Yoko. と言った場合、Yokoの背が低ければ、Kateも背が低いことになるし、Yokoの背が大きければ、Kateの背も大きいことになる。相手によってかわるのが「相対的」ということ。
注意:対になっている形容詞でも、尺度形容詞的なものと絶対的な評価形容詞的なものがある。good は相対的、badは絶対的。kindは相対的でcruelは絶対的。hotとcoldは共に絶対的。 尺度形容詞のペアの最初のほうを (old / youngのうちold)を無標(old)、後者(young)を有標という。通常、Howをつかって述べる疑問文は有標の形容詞だけ使われる。 How old is he? 無標というのは「標準に使われるもの」と考えればよい。How young is he ?というのはよほど特殊な場合のみわざわざ使われる。そして「若さを強調する」。こういうのを有標という。無標の尺度形容詞が比較構文で使われると、old, tall, long, big はそれぞれ「年を取った、背が高い、長い, 大きい」というプラスの意味をともなった意味にはならない。だから相対的という
一方評価形容詞というものがあります。 beautiful , ugly, expensive, cheap, intelligent, foolish, serious, valuable, などがそれです。
評価形容詞は「絶対的」。Kate is as beautiful as Yoko. Takao is as intelligent as Yoko. と言えば、 Yoko is beautiful. Yoko is intelligent.というのが前提になります。尺度形容詞とは違い、「Kateの容姿はYokoのレベル並みに低い」とか、「Takaoの知的レベルはYokoのレベル並みに低い」といった意味にはなりません。 これはKate is more beautiful than Yoko.も同様。Yokoは美しいということを前提に、それより美しいという表現になります。
さて、訳の問題に移りましょう。評価形容詞の場合、「ケイトは洋子とおなじくらい美しい」でいいようですね。しかし一方、尺度形容詞の場合「ケイトは洋子と同じくらい背が高い」ではまずいこととなりそうです。これは「同じくらいの背丈だ」として指導する必要があるのではないでしょうか。さらに言えば、訳も「ケイトは同じくらい美しい /洋子と比べて」と基準が洋子にあることをしっかり訳出してあげたほうがいいと思います。
僕はこれまで、asとasではさまれた形容詞はもとの意味を失う(相対的になる)と教えていましたが、これは尺度形容詞に限ったことのようです。冷や汗。。。。
2つめの問題点。
thanや2つめのasのうしろには基準となるもの、人がくるわけですが、話者にとってこれは「自明のこと」なのです。ところが中学生にとってはこれがわからない。従って、尺度形容詞にしろ、評価形容詞にしろ、できれば、皆が知っている人や、有名人とかを基準に持ってきた方がいいわけです。Taro is as intelligent as Tom.という一文だけ示されても、Tomって誰?頭がいいの?となります。本来、2つめのasや、thanのうしろにくる基準は「自分にとって自明」のものでなくてはなりませんが、このような例文ばかり使っていると、まともな言語感覚を育てられないと思うのです。それより、 Taro is as intelligent as Einstein. とか、Taro is as intelligent as a chimp.とかのほうが基準としてはっきりします。Taro can swim as fast as Kitajima Kosuke. とかだったら例文としてはOKでしょう。それを足がかりにして徐々に自分の身の回りの人、ものに広げていけばいいのかなと思います。
尺度形容詞のas as表現や比較級は、図やグラフを使うことで、「相対的」ということを納得させられますね。距離の短い川を何本かあげておき、 as long asと教える。距離が非常に長い川も何本かあげておき、これも as long as...とやる。「相対的」ということを明示しなくとも教えていけます。
尺度形容詞や評価形容詞は僕だったら、中学生には誤解をおそれず、
数字で測れちゃう「計測形容詞」と「それ以外」と教えると思います。年齢、身長などは数字で明示できますが、美しさの度合いは数字にできませんからね。
この構文の指導で私がよくやる手は、同一人物で異なる顔を持つ人を例に出すこと。
北野武さんなんかをよく例に出しました。
人物のイラストをさっと描いて,
「この人の7割は映画監督ね。3割はコメディアンね。」と言い、「 30% comedian < 70% movie director 」と書きます。
Takeshi is not so much a comedian / as ( he is ) a movie director.
基本は、not as...as...構文と同じです。
武はそれほどコメディアンの部分が多いわけではない /彼が映画監督であるのに比べたら。
これを意訳して,「〜というより...だ」になると教えます。
また、この構文を rather than..で書き換える解説をときどき見かけますが、イコールにはなりません。
(1)not so much A as B は、AもBも認めた上で、Aの割合よりもBの方(の割合が)多いということですが、
(2)B rather than A は、Aを排除した言い方になります。「AでなくBだ」と言い切っているように思います。
日本語の「AというよりむしろBだ」は、上記の(1)(2)両方の概念を含んでしまっているので
not so much A as B と B rather than A2つの表現をイコールだと混同しやすいのだと思います。
最後に格言を。
I have learned that success is to be measured not so much by the position that one has reached in life as by the obstacles which one has overcome while trying to succeed.
(訳文)成功とは人生において得た地位によって測るのではなく、成功するために乗り越えた障害によって測るべきものだ。
英語教育に関するあるメーリングリストに入りました。そこで投稿した記事です。
くじら構文に関しては以前のエントリーでも取り上げています。2006 12/11のエントリー
「no more...than... 」をご覧ください。
At present there is no more urgent and important task than solving the problem of food.を両方否定の文と訳してしまう生徒への指導方法をYutakaさんに尋ねられて.........
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Yutakaさんありがとうございます。Yutakaさんがあげられた文の説明には、やはりプラスマイナス法では限界がありますね。ご指摘ありがとうございました。そこであらためてこの件に関して調べ直してみて自分なりに一つの結論に達しました。
まず最初に研究社「英文法がわからない!?」からひとつ例文をあげさせてください。
I can no more swim / than a hammer can.
筆者は述べています。「ネイティブは果たしてthan以下を否定文ととらえているのでしょうか。素直に訳せば「君、泳げる?」と聞かれて「うんかなづち程度に泳げるにすぎないよ」と言っているのではないでしょうか。」
この文に衝撃を覚えました。
ひとつには、than以下は「お互いどうしがわかっている絶対的基準でなくてはならないということです。」それがいいことでも悪いことでもです。かなづちはどうしたって泳げるわけありません。それと同程度だよ。という修辞的表現だったんですね。as...as構文にも He is as smart as a monkey.(彼の知的レベルはサルと同程度)という修辞のしかたもあります。そういう意味では私が使った She is no more beautiful than her sister. はダメ例文でした。her sisterが大変なブス(失礼)だということをこの例文単体では生徒に伝えきれていないからです。
この構文は一文単位で訳させるだけでは全く不足で、「君、泳げる?」のような前文というか文脈をつけた上で学習させることが必要だと考えています。そしてthan以下は筆者と読者、話者と聞き手の間で共有された絶対的な基準である必要があることにも改めて気付きました
そういう意味から言えば、「かなづち」の例文は大変優れています。修辞が分かりやすい上に文脈が設定しやすく、さらに生徒にとって身近だからです。A whale is no more..でいくら機械的に練習させても生徒は使えるようにはならないようです。例文は生徒にとり身近であればあるほどいいと思います。
次に「現代英文法講義」 578ページからの抜粋をあげます。no 比較級について触れてある場所です。
I am no taller than John.
上の例文で noは、tallerを否定している。
I am [ no taller ] than John. ということだ。
これは「私はジョンよりゼロ程度しか背が高くない。差がない。(ー身長が同じだ)」= I am exactly as tall as John.と書かれています。
*ジーニアス大英和ですとno 比較級.... than...は「反対の意味の形容詞のas原級asでいいかえられる」とあります。すると I am no taller than John,は I am as short as John. という意味になり, ジョンが背が低いことが前提として、ジョンと私の背は同程度だよ。という意味になるわけです。ただこの点はジーニアス大英和と現代英文法講義の説明が一致していないところで、よくわからない点です。
話を元に戻します。まとめますと、no 比較級は「より〜だということはないよ。差はないよ。=同じ程度だよ」という意味になります。(no 比較級がゼロ差を意味するということは 英和辞典E-Gate 1109ページにも明記されています)
現代英文法講義からの抜粋をつづけます。582ページに
I am no more mad than you are. という例文があります。
単なるno比較級...than...と、no more...than...の違いは、後者の構文のthanのうしろは話者と聞き手が共有している、ちっともそう思っていない話がくるという点です。
この例文には、「君は僕と同様に気が狂っていない」という意味がつけられていますが、私は以下のように解釈しました。「君も僕も君が狂っていないのをわかっている。僕は君よりくるっていることはない。差が0。つまり僕もくるっていない。」この文のyouは、ふだんまともな発言をしている人なのでしょう。thanのうしろには話者、聞き手とも全く信じていない話がきます。ただしこの文が例文として弱い点は、この文だけでは「you が正常」という二人の間で共有されている前提条件は学習者=読者によく伝わりません。単文の例文として使うには修辞が非常に分かりにくい文でもあり、一文訳の弊害があるような気がします。前文として「お前気は確かか?」という文があり、「I am no more mad than you. 狂っている度合いは同じぐらいさ/お前さんと比べてね。」と返すのなら使われるシチュエーションもうかびます。「君が狂ってないのと同様に僕も狂っていない」とするとこの修辞法を使う意味がなくなってしまうような気がします。単に as...as..構文を使えば十分ということになります。
このように考えると、くじら構文も前に次のような文を足すと生き生きしだすかもしれません。
A君「なあくじらって魚だっけ?」
B君「お前は馬鹿だな〜。ほ乳類に決まってるだろ!
いいか。馬ってのは魚じゃないよな。それと同じ事でくじらってのは魚じゃ
ないの!」 こんなかんじでしょうか。
一文レベルで訳させるナンセンスさが伝わったでしょうか。
以上のようなことを踏まえ、At present there is no more urgent and important task than solving the problem of food.の理解のさせ方ですが、
私の場合、この文だけ単独で訳させることは絶対避けたほうがいいかなと思います。直後に、For example, there are millions of people starving in the world.とでも文をつけた形で指導に入り、なんとなく食糧危機が重大問題でありそうだな〜という情報ををまず生徒に理解させます。その上で「食料問題の解決と同様に、現在は緊急で重要な問題はない」ではおかしいことを確認させます。さらにno task is more urgent and important /than solving the problem of food.とno....比較級 than....の文に言い換えるよう指導します。
例
There is no more difficult problem than this one. A lot of scientists have tried to solve it for many years, but have failed so far.
1)一文で単位で訳させることはしない。生産的ではないから。
2)最初に「...と比べて同程度〜だ」と訳させる。
3)文脈に合致しないとき、最上級表現にぱっときりかえられる練習を
意図的に組み込む。
私が考えたことは以上です。高校レベル(大学入試レベル)ではこのくらいでいいのではと思います。このような思考のきっかけをつくってくださってありがとうございました。
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追追記
自己レスです。
At present there is no more urgent and important task than solving the problem of food. に類する文が江川先生の英文法解説 176ページにでています。江川先生は「ふつうのno more... than...構文とくれぐれも混同しないように」と書いています。構造がそもそも違うわけですね。
ふつうの no more... than...では、noは more....の部分を否定し、「差はない・同程度」と言っています。このnoは副詞ですね。
それに対し、ご指摘の文の noは、more形容詞でなく、名詞(ここではtask)を否定している形容詞であるような気がします。no taskということですね。「よって No task is more urgent and important than...という文と同等の意味になる」という説明ではだめでしょうか。
いわゆるクジラ構文の指導法。個人的にはこういう文はあまり指導したくないのですが教科書に出てくるのでやむをえず指導します。
1) Meg is more beautiful / than her sister. (優等比較)
2) Meg is less beautiful / than her sister. (劣等比較)
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1)' Meg is (no) more beautiful / than her sister (is beautiful).
メグも美しくない。 姉は美しくないし,
noはマイナス。moreはプラス。かけ算するとマイナス(両方否定)
2)' Meg is ( no) less beautiful / than her sister ( is beautiful).
メグも美しい。 姉は美しいし,
noはマイナス。lessはマイナス。かけ算するとプラス(両方肯定)
..................................................................................................................................................................................................
1)" no more than... は期待をマイナスに裏切る。
noがマイナスmore がプラス。かけ算するとマイナス。=〜しか
2)" no less than...は期待をプラスに裏切る。
no がマイナスlessもマイナス。かけ算するとプラス。=〜も
比較の文は実は2つの文が合体してできている。
後半のasやthan以下にくる語は,2つめの文のうち,1つめの文とは情報が異なる部分だけが残ったものと考えられる。
生徒には2つめのas以下,それにthan以下で,英文を復元させる。するとわかりにくい比較の文も理解できるようになる。
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