2018年1月 6日 (土)

発達障害とつきあう 注意力散漫を克服する授業

発達障害の中で注意力散漫で人の話を集中して聞けないというものがあります。興味があっちこっちに飛んでしまい、先生の話を聞いていないというパターンが多いです。本人は悪気はまったくないんです。これはとても分かります。自分もそうでしたから。

では、こういう生徒を救うフレームはあるでしょうか。
これがあるんです。とても簡単なのが。
それは「今出した指示を生徒に繰り返させること」これだけです。
「この段落で一番重要な文に下線を引きなさい。時間は3分です。」という指示があるとします。多くの場合はこれで終わりです。しかし、話しを聞いていなければ ジエンド。授業もどんどんついていけなくなります。

これをこう変えます。
教師 「この段落で一番重要な文に下線を引きなさい。時間は3文です。」
教師 「確認するよ。何ができればいいのかな。」
生徒 「第1段落で最も大事な文に下線を引くことです 。」
教師 「そうだね。では何分でやりますか。」
生徒 「3分です。」
教師 「その通り。ではペアで取りかかろう。よーいスタート」
大事なことを確認しておくと

1)そもそも、生徒の思考をそらさないよう、映像や発問で、学習へ必要感をもたせておき、「あれっ?」と思わせたり、わくわくさせるのが大事。

2)指示は迷いがないように、一時に一つを徹底する。これを「一時一事の原則」と言う。

3)具体的に何をいつまで誰とすればゴールなのか、明示した言い方にする。

4)指示を生徒に繰り返させる。「確認するよ」と言った瞬間、ぼうっとしていたとしても授業に引き戻されます。そこですかさず全員で確認を行います。

 説明の場合は、「ポイントを隣同士に説明してもらうよ」と最初に言っておけば、話しは聴くものです。もちろん、簡潔に、判断のポイントを分かりやすく伝えることが大前提です。最初に問題を解かせてみて、出来ないという体験をさせてから説明するとより聞いてもらえます。
いかがでしたでしょうか。注意力散漫な発達障害の子どもに効くと言うことは、実は高校生を含めた大人にも、ものすごく効くやり方です。セミナーとかでやればわかりやすい、ていねいだという評判が出ると思います。自分でやっているからそう言い切れます。
                                                                                             

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2017年4月26日 (水)

総合的なアクティブ学習

総合学習で「地域研究」を実施しました。テーマが20ぐらいあって全部いわきの風土や歴史に関係しているテーマ。じゃんがら念仏踊りのルーツやフラガールの歴史あり、小川江筋の歴史あり、平城の歴史あり、いわきの農業の話あり。ブラタモリと総学が合体したような内容。歴代藩主の話もかなりおもしろかった。

地元を好きになるには地元のことを知る必要がある。アクティブラーニングとしてもよかった。編集の段階で情報の取捨選択、言葉の選び方、見せ方の順序などを総合的に考える必要があります。また、プレゼンを入れることでより人に分かりやすく伝える情報伝達についても意識できたはず。

中学ではかなり頻繁にこういう活動をしているということですが、知的レベルが高いこういう活動もさらっとできるあたり、本校生の能力の高さを感じました。すばらしい!

今後はこれを英語でやって世界に発信できれば。そう思いました。生徒の皆さんすごかった。準備された先生方お疲れ様でした。よいモデルができたと思います。

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2016年12月22日 (木)

考えるということ。ー進学する生徒へ

理型には得意教科は何かと聞くと、「数学です。」と答える生徒がいます。理由は「考えて、答えが一つに決まるから」というものが多いのです。

ひょっとして思い違いしているかもしれないのでここで述べておきたいと思います。「考える」の枠組みは、大学や世の中と、高校まででは大きく違うのです。仕事などで「効果があるように」文章を書いたり、答えのない、あるいは問いさえないところで問いを立てて答えを探していくというのが「考える」というものです。決して「問いという枠組みを最初から与えられて、それを解く」ことが「考えること」ではありません。
問題を解くこと自体はムダではないですし、数々の解き方を見いだしていくことも大切です。しかしそれでもなお、それをもって「考えた」と言って欲しくないとも思います。本や文献などから既存の知識を得て、問いの枠組みを作り出します。新しいものを作り出す。あるいは組立てます。ここはよくてもあそこはダメ。スクラップアンドビルドの繰り返し。ただし考えに考えた者には、セレンディピティのご褒美があるかもしれません。
もうすぐ大学に進学するであろう、自分の生徒達に捧げる一言があります。「新しいものを作り出そうとするとき」学びは起こります。「学び」は与えられるものではありません。ひな鳥のように口を開けて待っていても、教師から手取足取り教えられても得られないものがあります。そしてそれこそ教育の本質と言えるものです。

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2016年12月 2日 (金)

こどもにとっての読解力

子どもにとっての読解力 (どんぐり倶楽部さんより)
読解力1(浅い)...文字を音声化し、それに視覚イメージを付加してみること。
読解力2(深い)...書かれてある文字を視覚化し、そのイメージを自分の原体験をもとに作られたデータベースと比較検討してみて解釈すること。この原体験のデータベースの力が強ければ強いほど読解における基本的な力があることになる。本だけ読んでいても豊かな読解力に結びつかないのはそういうこと。
これを聞いて、宮崎駿さんが昔言っていた、「お母さん、今すぐとなりのトトロをビデオで見せるのをやめて、子どもを外で遊ばせて下さい。」の意味がわかりました。子どもは遊ばせること、経験させること。言葉を絵に変換させて、ビジュアルに理解させること。でないと貧弱な読解力しか身につかない。
灘中高の「銀の匙」を使って授業をしていた国語の先生の話にも通じる話です。

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2016年9月10日 (土)

迷走するセンター試験改革

センター試験改革について。

あのね、

1)読む、聞くは今までどおりセンター試験で行う。
2)話す、書くのスコア「のみ」民間試験のものを使う。

 これじゃダメなの? 

 理由1 指導要領に沿ってない民間試験に「丸投げ」はないですよ。

 理由2 裕福な人だけ何度も受験できるのは公平ではないです。

 

 指導要領が関係ないならば、教科書の存在意義がなくなりませんか?

 4技能をはかりたいという気持ちはわかります。

 でもね、試験の民間への「完全丸投げ」はやはりありえない。

 そうじゃない折衷案があるのではないでしょうか。

 

 

 



各会社で話す、書くだけのテストを作ってもらってもよいと思います。新しく開発するというより今の試験の中のその部分だけでも実施できるのでは。

受験料については中高生については「儲ける」より各会社も配慮も必要です。そういう姿勢も考慮して「国」の試験の代わりになるかどうか判断すればいいと思います。つまり許可制です。


 

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O君。

自分の教え子にO君という人がいる。大学院生だが、本当にすごい。とにかく情熱をもって行動しまくるのだ。地質や防災が彼のフィールド。実は問題意識をもって行動する人がもっとも学びが深い。彼を見ていると自分の大学時代が情けなくなるぐらい、そのぐらい動いている。

世の中、結局、情熱をもって、実際に実践している人の「熱量や思想」にひかれて人は集まる。そこにはあこがれがある。そしてそれを続けることができれば、世の中、何かが変わる。

O君頑張れ。世界に向けて発信することも視野に入れ、英語のトレニーニングは怠りなく。今やっていることのひとつひとつは点だけど、未来において、線になっていく。

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2016年9月 9日 (金)

本質

今勤めている進学校から、全くそうでない学校に行った先生に話しを聞いた。「先生の専門知識が活きないのではないですか」とばかな質問をした。その先生はこうおっしゃった。「そうでもないよ。余計な部分をそぎ落とすようになって、前より本質を教えられているからおもしろいんだ。」 今でも耳に残っている。おもしろい授業に生徒はついてくる。自分もそうありたい。

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2016年9月 7日 (水)

50万ヒット。御礼

気づいたら50万ヒット。駄文をお読みいただいてありがとうございます。書くという作業はアウトプットです。インプットしなければ書けませんから学び続けることになります。またものを書く時点で自分の考えを整理する必要があります。でないとわかりにくい文章になってしまいすから。ブログは自分にとって最高の思考の道具であります。不定期ではありますが、今後も続けて参ります。なにとぞよろしくお願いします。

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分かりにくさも大切な要素

生徒に教えるときに「分かりやすい」を心がける人は多いと思います。しかし中には、「先回りした極めて分かりやすい説明」とか「わかりやすすぎる教 材」は生徒がなぞを解き、問題を解決し、深い理解をするのを妨げるのではという考えもあるようです。ひとりよがりでわかりにくい授業は問題外ですが、 意図的に難しいものを読ませたり解かせたりすることは深い思考を促す上で意味があると思います。学び方、調べ方、知識の整理の仕方を教えて、自分たちで考 えさせることが大事です。

教材の英文も論理構成や表現に十分配慮し、生徒につけさせたい力を明らかにした上で「分かりにくい部分」を意図的に入っているものを選ぶのも十分ありだと考えます。

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受け身か、アクティブか。

模試の結果が続々帰ってきていますが、文法・語法(とくに語法)で伸び悩んでいる生徒も中にはいます。ここまできてと思わないでもないですが、なんとかせねばと思います。ただ、「教える」ということに限界も感じています。四択問題などを眺めているだけではなく、理解できた上で英文がすらすら書けないと話になりません。結局「自ら学ぶ」姿勢の強い生徒は何をやらせても成績はいいです。知識をマッピングにまとめて何度も書いて整理して白紙に書き出して覚えたり、音読筆写などで英文を頭に残したり。理解面と、技能面両方アクティブさが必要なのに、テキストをながめているだけの者もいるのではないか。この消極的な姿勢ではいくら教え込んでもムダになってしまう。自分で頭を使おうよ、口や手を動かそうよ。その「教えてもらう」という受け身の姿勢があだになっている可能性すらある。早くそれに気づいて、自ら学び取っていく人が勝ちなのかなあと思う。

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