2016年12月22日 (木)

考えるということ。ー進学する生徒へ

理型には得意教科は何かと聞くと、「数学です。」と答える生徒がいます。理由は「考えて、答えが一つに決まるから」というものが多いのです。

ひょっとして思い違いしているかもしれないのでここで述べておきたいと思います。「考える」の枠組みは、大学や世の中と、高校まででは大きく違うのです。仕事などで「効果があるように」文章を書いたり、答えのない、あるいは問いさえないところで問いを立てて答えを探していくというのが「考える」というものです。決して「問いという枠組みを最初から与えられて、それを解く」ことが「考えること」ではありません。
問題を解くこと自体はムダではないですし、数々の解き方を見いだしていくことも大切です。しかしそれでもなお、それをもって「考えた」と言って欲しくないとも思います。本や文献などから既存の知識を得て、問いの枠組みを作り出します。新しいものを作り出す。あるいは組立てます。ここはよくてもあそこはダメ。スクラップアンドビルドの繰り返し。ただし考えに考えた者には、セレンディピティのご褒美があるかもしれません。
もうすぐ大学に進学するであろう、自分の生徒達に捧げる一言があります。「新しいものを作り出そうとするとき」学びは起こります。「学び」は与えられるものではありません。ひな鳥のように口を開けて待っていても、教師から手取足取り教えられても得られないものがあります。そしてそれこそ教育の本質と言えるものです。

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2016年12月 2日 (金)

こどもにとっての読解力

子どもにとっての読解力 (どんぐり倶楽部さんより)
読解力1(浅い)...文字を音声化し、それに視覚イメージを付加してみること。
読解力2(深い)...書かれてある文字を視覚化し、そのイメージを自分の原体験をもとに作られたデータベースと比較検討してみて解釈すること。この原体験のデータベースの力が強ければ強いほど読解における基本的な力があることになる。本だけ読んでいても豊かな読解力に結びつかないのはそういうこと。
これを聞いて、宮崎駿さんが昔言っていた、「お母さん、今すぐとなりのトトロをビデオで見せるのをやめて、子どもを外で遊ばせて下さい。」の意味がわかりました。子どもは遊ばせること、経験させること。言葉を絵に変換させて、ビジュアルに理解させること。でないと貧弱な読解力しか身につかない。
灘中高の「銀の匙」を使って授業をしていた国語の先生の話にも通じる話です。

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2016年9月10日 (土)

迷走するセンター試験改革

センター試験改革について。

あのね、

1)読む、聞くは今までどおりセンター試験で行う。
2)話す、書くのスコア「のみ」民間試験のものを使う。

 これじゃダメなの? 

 理由1 指導要領に沿ってない民間試験に「丸投げ」はないですよ。

 理由2 裕福な人だけ何度も受験できるのは公平ではないです。

 

 指導要領が関係ないならば、教科書の存在意義がなくなりませんか?

 4技能をはかりたいという気持ちはわかります。

 でもね、試験の民間への「完全丸投げ」はやはりありえない。

 そうじゃない折衷案があるのではないでしょうか。

 

 

 



各会社で話す、書くだけのテストを作ってもらってもよいと思います。新しく開発するというより今の試験の中のその部分だけでも実施できるのでは。

受験料については中高生については「儲ける」より各会社も配慮も必要です。そういう姿勢も考慮して「国」の試験の代わりになるかどうか判断すればいいと思います。つまり許可制です。


 

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O君。

自分の教え子にO君という人がいる。大学院生だが、本当にすごい。とにかく情熱をもって行動しまくるのだ。地質や防災が彼のフィールド。実は問題意識をもって行動する人がもっとも学びが深い。彼を見ていると自分の大学時代が情けなくなるぐらい、そのぐらい動いている。

世の中、結局、情熱をもって、実際に実践している人の「熱量や思想」にひかれて人は集まる。そこにはあこがれがある。そしてそれを続けることができれば、世の中、何かが変わる。

O君頑張れ。世界に向けて発信することも視野に入れ、英語のトレニーニングは怠りなく。今やっていることのひとつひとつは点だけど、未来において、線になっていく。

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2016年9月 9日 (金)

本質

今勤めている進学校から、全くそうでない学校に行った先生に話しを聞いた。「先生の専門知識が活きないのではないですか」とばかな質問をした。その先生はこうおっしゃった。「そうでもないよ。余計な部分をそぎ落とすようになって、前より本質を教えられているからおもしろいんだ。」 今でも耳に残っている。おもしろい授業に生徒はついてくる。自分もそうありたい。

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2016年9月 7日 (水)

50万ヒット。御礼

気づいたら50万ヒット。駄文をお読みいただいてありがとうございます。書くという作業はアウトプットです。インプットしなければ書けませんから学び続けることになります。またものを書く時点で自分の考えを整理する必要があります。でないとわかりにくい文章になってしまいすから。ブログは自分にとって最高の思考の道具であります。不定期ではありますが、今後も続けて参ります。なにとぞよろしくお願いします。

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分かりにくさも大切な要素

生徒に教えるときに「分かりやすい」を心がける人は多いと思います。しかし中には、「先回りした極めて分かりやすい説明」とか「わかりやすすぎる教 材」は生徒がなぞを解き、問題を解決し、深い理解をするのを妨げるのではという考えもあるようです。ひとりよがりでわかりにくい授業は問題外ですが、 意図的に難しいものを読ませたり解かせたりすることは深い思考を促す上で意味があると思います。学び方、調べ方、知識の整理の仕方を教えて、自分たちで考 えさせることが大事です。

教材の英文も論理構成や表現に十分配慮し、生徒につけさせたい力を明らかにした上で「分かりにくい部分」を意図的に入っているものを選ぶのも十分ありだと考えます。

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受け身か、アクティブか。

模試の結果が続々帰ってきていますが、文法・語法(とくに語法)で伸び悩んでいる生徒も中にはいます。ここまできてと思わないでもないですが、なんとかせねばと思います。ただ、「教える」ということに限界も感じています。四択問題などを眺めているだけではなく、理解できた上で英文がすらすら書けないと話になりません。結局「自ら学ぶ」姿勢の強い生徒は何をやらせても成績はいいです。知識をマッピングにまとめて何度も書いて整理して白紙に書き出して覚えたり、音読筆写などで英文を頭に残したり。理解面と、技能面両方アクティブさが必要なのに、テキストをながめているだけの者もいるのではないか。この消極的な姿勢ではいくら教え込んでもムダになってしまう。自分で頭を使おうよ、口や手を動かそうよ。その「教えてもらう」という受け身の姿勢があだになっている可能性すらある。早くそれに気づいて、自ら学び取っていく人が勝ちなのかなあと思う。

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休んでいない休日。

本日は振休で休み。午前中は生徒の志願理由書の手直し。生徒は日本語の論理で書きがち。言いたいことはわかるけど結束性は手直しが必要。まず言いた いことをしっかり拾いあげることからスタート。それを英文のロジックに組み直してみる。自分の夢や大学で学びたいことと直接関係のない体験談などをはず す。サポートになっていませんからね。あとは明日生徒と話してこれでいいか確認。ロジックや体験の取り上げ方などは明日しっかり指導しよう。スタートから 3時間で終了。しかしロジカルなものを書くときは日本語より英語の方がラクなのはなぜだろう。英語の方がカチッとした論理フォーマットが決まっているか ら、それにあっているかどうかチェックするだけだから楽というのもあるかもしれない。自分は美しい英文を書くにはまだまだですが、そこそこロジカルな英文 は書けるようになってきたかなと思います。大学で英語のスピーチを学んだこと、市の中学のスピーチコンテストの審査委員長として百本近く原 稿を見てきたこと、執筆してきた経験と、やってきたことが全て助けになっています。振り返ると人生、むだなことは1つもないです。まさにジョブズが言う、コネクティングドットが今ならわかります。

P.S. 文法参考書Forestの新しい名前が Evergreenに決定とのこと。森にちなんだ名前に落ち着いたようです。ちなみに自分が応募した名前は Maximum でした。

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2016年7月13日 (水)

成功するGroupworkについて

昨日、iMovieとKeynoteの講座が終わった。4万円近くする講座なのだが、ついていくのがやっとだった。これは先生の問題ではなく自分の姿勢の問題だ。先生や運営の方々には頭が下がる思いだ。

学んだことを書いておく。技術的面ももちろんそうだが、Groupworkについて発見があった。人は、仲間に自分の作品をみてもらったり、コメントをもらうときに(つまり発表があるときに)最大限のパフォーマンスを発揮するということ。「なあーんだ」と思うかも知れないけれど、これはやはり真実なのだ。暖かななコメント、励まし、自分の作品が評価される喜び、自分がアドバイスできること、教員の暖かなコメント、励まし。この辺りが、Groupworkにおける内的動機付けのコアではないかと思う。

技術面においては、紙や生の授業でやるべきことの代替でいいのかという疑問も芽生えた。「動きがあること、絵や写真、動画」がマストのような気もする。いずれにせよ、どうしてもデジタルにしたいという熱い気持ちのあるテーマでしか続けないだろうということは確認できた。技術のハードルが下がった分、少し、動画作りへ近づいた気がする。

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