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2023年3月19日 (日)

小学校の英語教育について

地元の小中高の先生方で集まって勉強会を続けています。主催してくださっている、中学の先生には感謝しかありません。小学校でも先生方は頑張っています。

県では、小学校の英語教育に指導者的な立場の方を30名ほど指名し、小学校英語への改革を実践してもらっています。彼らの役割の1つは、小学校の先生方への啓蒙活動です。しかし、1年近く研究会で話を聞いていると、だいぶ苦労なさっているのが嫌でも分かります。他の先生方からよく言われることは、「○○先生だからできるのです」「専科の先生だからできるんでしょ」というもの。こういった声が少なくないとのこと。

でもそれは、その先生方のやる気がないということではなく、そもそも「余裕がなさすぎる」ことが原因だと思います。小学校で先生方がやることは英語だけではありません。国語、算数、体育、音楽、理科、全ての教科を教え、給食を共にし、かつ、学校行事の準備、校務分掌の仕事、保護者対応、スローラーナーの児童の対応とやることは盛りだくさんです。キャパオーバーにもなりますし、体や心を壊したり、働き方改革の中で魅力的に思えないため、先生方の数が揃わない事態にもなってきています。

文部科学省のスタンスは、まずは導入してみて、走りながら問題を出していくというものでした。やってみたらどうなったか。

1)英語嫌いの児童が増えた。→教科書を順番にやっているだけだからではと推察します。(専科の先生でない方はそれでもやっとかと思います)
2)英語塾などに通えている児童と通っていない児童の学力格差が生まれてきてこれも悩みの種になっている。
3)中途半端な数の専科の先生を入れたため(入れないよりだいぶマシです)彼らに任せればいいと頼る先生方が出てきた。
  

繰り返し言いますが、小学校の先生はある意味大変忙しい状況にあるとも言えます。「いやいや、税金を払っているのだから教えてもらわないと困る」という人もいるでしょう。でも忙しさに苦慮し、楽しく効果的に教えることができるのはまだ一部の先生だけではないかと推察します。だから教育委員会では専科の先生に指導的役割を期待したいのでしょう。でも、小学校の忙しさはなんら解消されていません。無理筋のところで、セカンドベター、サードベターを目指している限り、先はあまりないようにも感じます。そして残念ながら英語嫌いの生徒が増えています。


本気で英語力を上げたいのなら、少なくとも下のどれかを達成する必要があると考えます。

1)小学校の先生の数自体をもっと増やす。(忙しさの解消。空き時間を増やす。学ぶ時間を確保する)

2)専科の先生を各校に1名以上配置する。(中学の英語の先生の退職者、児童英語指導経験者を登用)

1)と2)の両方が必要でしょう。

 

それプラス、大事なことがあります。

 

指導の骨と経験値がないとダメなんです。これが研修で身につけるべきこと。ここからは現状を考えれば、本当、理想の部分です。


<語順と修飾>を学ばせるシステム。=「Sは=何だ」

                  「Sは=どんなだ」

                  「Sは どうする 何を」副詞<どのように、どこ、いつ>

                   S( 句   ) V   C   /  S ( 句  )V O   / S V O ( 句 )

                   名詞(名詞+動詞...) は関係詞                

<音と文字をつなぐ>システム   = Phonics + シラブルベースの発音

<大量にある歌やチャンツといった教科書の副教材をここだというタイミングで使っていく経験と目>

<趣旨説明の原則、一時一事の原則、確認ー評価の原則、要点をずばっと短く伝える法則、など指導技術を英語に応用していく経験値>

 

1番上「語順と修飾のシステム」は児童がもっとも混乱すること。日本語と英語は真逆の語順です。小学生向けの語順理解システムが必要です。

小学生にも明示的にわかる語順指導が必要です。(あえて文型とは言いません)
S=ナニだ文 She is a student.  Sは=ドンナだ文 She is cute. Sは どうする 何を文. She  plays tennis.  など。

「小学生にはパターンだけ与えて、実際に使う場面を与え、練習させればいい」というのがESL的メインストリームの考えでしょう。でも、ここでESL理論を持ってきてもしょうがないです。学校以外の日常のインプット量が圧倒的に足りないのですからESL理論は厳密には日本には当てはまらないのです。授業では、自分の中でルール化という「納得」ができないうちに授業は先にいってしまう。どんどん分からなくなる。だからこそ小学生にも納得できるルールをずばっと示す必要があります。「場面を使った「楽しい」活動」+「納得できる」ルールを学ぶ活動と、「過去の自分や他者との競争を伴うパターンプラクティス」。この3つが揃うかどうかが英語が好きになるかどうかの瀬戸際です。塾に行ってなくてもわかるようにするのが大切です。そう考えると、現行の教科書は欲張りすぎです。もっと絞っても良いと思います。

2番目「音と文字をつなぐシステム」。小中では音声活動を多くやらせます。一方で、読み書きが少なくなりがち。児童、生徒には音声ファーストというのはその通りなのですが、それは、音声に十分なれさせるのが最終目的ではありません。音声になれることで、RLSWの4技能につなげていくためです。いつまでも音声重視のアクティビティをやっているのはある意味、不得意な分野になるべく手をつけない作戦とも取れます。なぜなら、児童、生徒は、「音声を文字化する/文字を音声化」するところでもつまづいていますので。文字をたどたどしくしか読めない。書いてもバツをもらって、だんだん自信を失っていきます。塾に行ってない子には全くドリル、パターンプラクティスが足りてません。音声には強い。でも紙に書かれた瞬間に、バツをもらい自信がなくなりつまらなくなる児童生徒は多いです。単語のスペリングも覚えられない。だったら強化ポイントは、「音声と文字をつなげること」だろう思うのです。

そのためにはフォニックスが役立ちます。ところが小学校の指導要領では、フォニックスは推奨されていません。「英語の音になれることが第一で、文字化などは後回し」というのが、そうしない立場の方がいう話です。何か「フォニックスというと文字もやらねばならない。生徒には音声が先で、文字など無理」という思い込みがあるわけです。はっきり言って、ナンセンスです。児童英語の世界では、フォニックスから入りますよ?そしてそれで英語嫌いになり英語塾をやめるとしたら、先生方は収入が得られずに多大な影響が出ます。しかしそんな話は聞きません。話は逆で、フォニックスは音と文字をつなぐ手助けをするものです。学ぶからこそ、文字と音が一緒に学べ、単語や英文を比較的楽に覚えられるのです。ですから、発想が逆なのです。また、「フォニックスは、すべての発音と文字のルールを網羅していない。だから学ぶ価値がない」という考えもナンセンスです。では欧米ではなんのために子供達にフォニックスを指導しているのでしょうか?役に立たないのに? こう考えてはどうでしょうか。フォニックスは、ちょっと網目が荒い網なのだと。大きな魚、中ぐらいの魚は難なくすくいとることができます。でも小魚は逃してしまう。では、この網は全く意味がないものでしょうか? フォニックスルールを知らない児童、生徒は、出てくる単語を見るたびに、どういう発音になるだろうと思うでしょう。フォニックスルールを知らない児童、生徒は、書くたびに、すべての単語には共通点などなく、全部一から覚えるのだと思うでしょう。でも違います。フォニックスは「覚えることを減らしてくれるルール」です。これを教育心理学では「体制化」と言います。頭の中にこういうルールがあるだけでだいぶ初見の単語を読んだり、書いたりするのが楽になるルールなのです。やらないのはもったいないですよ。少なくとも、各都道府県の指導主事たる方は「フォニックスを教えている。とんでもないことだ。指導要領にないではないか」というのはやめてくださいね。指導要領は最低限のことですから。逆にほめてあげてください。


3番目ですが、ここが一番「英語指導経験のある先生とない先生」で別れるポイントとなります。1番目、2番目、4番目は学べば誰でも再現可能です。ところが、大量にある、歌やチャンツなどの音声リズム教材をどこでどう使うかだけは経験がものを言います。逆にいうと、東京書籍さんなどがどれだけ大量に用意していても使えないのであればないのと同じです。勿体無い。児童生徒は、歌やチャンツが大好きなのに。要するに、教科書をそのまま進めるだけの先生とそうでない先生の違いになってきます。教師にとり一番大事なのは「情熱・愛情」と「教育技術スキル」と「授業を目的に応じてデザインする力」です。曜日、月、形容詞、名詞、動詞、数字、色、いろいろなものがチャンツで覚えられます。でも活用しきれない。インプットの大切な機会を逸しているとも言えます。教科書をなぞるだけの先生の授業は好きになれないのは誰でも経験があるでしょう。好きや得意にさせる先生にはそれなりの勉強と体験といったバックグラウンド・理由があるのです。副教材をどう楽しく学びにつなげられるかはとても大きな研修ポイントと言えます。

4番目ですが、小学校の先生方にはお馴染みだと思います。向山洋一先生の授業の法則ですね。これは高校生や大学生、大人に至るまで使える優れた授業技術で、私もずいぶん助けていただきました。これを英語教育に落とし込んでいくことが大切です。相性がいい英語指導スキルは、TPR (トータルフィジカルレスポンス)ですね。それだけではないですが。

文科省は、教員免許更新講習じゃなく、こういったことをやるべきだったと思います。これからでも遅くありません。

私は、文部科学省から派遣されて、カナダのブリティッシュコロンビア大学で学ぶ機会を得ました。(なので文部科学省および県教育委員会、知事には心から感謝しております。私の人生を変えました。その分貢献もさせていただきましたし、今後も貢献していくことに変わりありません。)カナダ・バンクーバーでは現地の力のある中学高校の先生方の授業も見させていただきました。カナダにもコースオブスタディがあるのですが、先生方は、地域の教材センターで自由に教材をコピーし、授業を組み立てていました。テストがあるため、そこで結果が出せれば良いという考えの方も多かったです。教科書というものは、確かに、「学ぶべきものが、学ぶべき順に入っています」が、目の前の生徒のつまづきに必ずしも寄り添うものではありません。適宜、そこから離れてスモールステップで指導を行うことが求められます。

私が移民の方に英語を教えている英語の授業などを通して学んだことは、「初学者に教えることがもっとも技量が必要で、もっとも難しい。Teaching skills matter. 」ということでした。ところが、日本の小学校の先生方は学ぶ余裕もなく忙しい、人も足りない、英語指導技術もない状態で授業をしなければならない。これは、私が文部科学省の派遣事業で学ばせていただいこととは真逆のことです。

ベネッセの調査では、英語が苦手な生徒の数も増えていますが、逆に得意な生徒の数も増えています。英語力自体は総合的には日本全体として上がっているというのが現状です。

ではこれをもって本当に成功と言えるでしょうか。所得が低く、英語塾に通わせることが不可能な世帯は、地方に多いのではないでしょうか。逆に所得が高く塾に通わせられる世帯が都市部に多いことは想像に難くありません。英語ができる、できないで差が開くのは経済的なものだから仕方がないのでしょうか。公教育の役割は、そういう所得格差を「ある程度は」カバーできるものであって欲しいと私は思います。だからこその提言をさせていただきました。

「走り出しながら、変えていく」と小学英語を導入された方が導入当時おっしゃったと記憶しています。であれば、本気で、教員定数や、専科の先生の数、研修内容を変えてほしいと思います。

 

 

 

 

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