« 2015年8月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年1月11日 (月)

アクティブラーニングを考える

以下に私の考えを述べたいと思います。

アクティブラーニングとはグループワーク、ペアワークなどの手法ではなく、「学習者の脳の状態」を指すのではないでしょうか。

英語学習におけるアクティブラーニングの状態とは、学習者が主体的に覚えよう、できるようになろう、使えるようになろうと集中して練習している状態だと思うのです。

覚えようと集中している。覚えたものをクイックレスポンスでアウトプットしようとしている。リエゾンを言えるようにくりかえし集中して練習する。リピーティングやシャドウイングで英語の音声リズムや発音を自分のものにする。和訳する。訳さなくてもわかるように音読を重ねる。和訳を見て英語に即座に直せるようにする。単語の意味をいえる。英文法のルールを使って即座に文を生み出せる。 これらのことをやって、つまり一定の音声、英文が体に入ってからがスピーキングやライティングや、ディクトグロス、キーワードリプロダクションにいけると思います。
個人的な練習なくしてアウトプットも自己表現もない。アクティブラーニング=即グループワーク、ペアワーク、スピーキング活動、ディベート活動ではないのではないかと思うのです。もちろん一部はかぶっていますが。
グループワークなどを使ったアウトプットは、意見交換の楽しさ、相手を認める承認の働き、自己尊重感の育成も果たしますのでやるべきと思いますが、語いのクイックレスポンス、文法習得や暗唱、暗写、シャドウイングなどいろいろな「アクティブ」な活動を通して行われる最終活動であるべきと思います。(あるいは最初にやらせてできないと実感させ、練習を挟んでできるようになったと実感させるのもありです)
アクティブラーニングとは手法ではなく、生徒が主体的になってマスターしようとしている心や脳の状態のことではないかと思うのです。したがって、沈思黙考だってアクティブラーニングです。豆テストをひんぱんに入れて覚えなきゃというのもアクティブラーニングです。(擬似的かもしれませんが)教員がすべきなのは、生徒のやる気をどうアクティブな状態にもっていくか、これだけです。そういった指導上のしかけと子ども達への声かけ、評価、練習体系全体が、アクティブラーニングを構成すると思います。達人と言われる人達は練習をゲーム仕立てにしたり、競争させたりして楽しませて繰り返させています。あるいは、すぐれた発問などを通して問題点について考えさせたりしています。それがうまいのだと思います。したがってアクティブラーニング自体を目指してもあまり意味がないのではないかと思います。

学習者をアクティブにするのは、裏側ではあくまで Teacher's Skillであり、Teacher's Controlだと思います。その結果思いもよらないものがでてくるわけで結果としてアクティブになるわけです。語いや文法トレーニングをたのしくアクティブに構成する。発問で頭を使わせる。自分の意見表明で、最終的に英語のやりとりを活発に行わせる。アクティブラーニング。この言葉の意味をみなさんはどうお考えになるでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 6日 (水)

文法書のあるべき姿

多くの文法書は分けるということはしても、どう使うかは教えてくれない。常々思っていることとしては、「2文あれば文脈になる」ということ。つまり、文法書であっても、使い方を示すべき。そのためには文脈を示すため2文は必要と思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年8月 | トップページ | 2016年6月 »