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2011年6月28日 (火)

0342- 110628 日本のリーダー

http://jp.youtube.com/watch?v=myxPETPXkJc

6月17日森まさこ議員の質問がありました。上記のYoutubeの動画は一見の価値ありです。

国の防災基本計画では実際の放射線量をもとにではなく、「放射線拡散予測図」を使って、住民の避難誘導をすることが定められていました。菅総理、海江田氏はそれぞれ対策本部長、副本部長です。しかし、答弁により、法律に定められた「このこと」も知らないことがあきらかになりました。

菅首相、海江田氏は、「拡散予想図が自分のところにあがってこないので知らなかった」と述べます。もちろんこの言い分は通りません。法律によれば、彼らは拡散予想図を使って避難誘導をすべき立場の人だったのです。つまり、「拡散予測図を出しなさい」と命ずる立場でした。もし、初動で住民に示されていれば、余計な被曝をしなくてすんだ人がいるでしょう。法律違反をしていると森議員に追求され、菅首相と海江田経済産業大臣はしどろもどろになっています。

海江田経済産業大臣、高木文科省大臣の答弁は論理的に破綻しています。経産省が指示して原子力保安院に推測図を作らせていたのは事実です。それをなぜ発表しなかったのかと問われて海江田大臣は「官邸にあがってこなかった。存在を知らなかった。」と述べています。しかし自身が管轄する経済産業省の指示で作らせていたのに、知らなかった、官邸には来ていたが自分は知らなかったというのでは論理的に破綻しているでしょう。仮に百歩譲ってそうだとしても、防災対策副委員長として、国の防災基本計画のイロハのイを知らなかったのもお粗末です。またIAEAにも「放射能拡散予想ができなかったのは残念だ」という報告書を提出していましたが、森議員に「予想はとっくにしていたではないか、それを福島県民に伝えなかったのではないか。報告書は故意に誤った言い方をしているのではないか」と指摘されていました。

高木文科省大臣は、答弁の最初では、「現地の放射線量が判明しなかった。はっきりした値が示せなかった」と主張していましたが(当初余裕の表情で笑みもこぼれる)、森議員に、「文科省でも7枚ものかなり正確な拡散予測表を作らせたいたではないか」、防災基本計画ではそれを避難に使うことになっていたではないか、と指摘されて、黙ってしまいました。菅首相からも自分のところにはあがってきていないと言われる状況です。

菅総理は、国の防災基本計画では「スピーディの放射線拡散予測図」を使って、避難誘導をすることが定められていたのにそれをしなかったことを指摘されました。間違いを認めるかと論理的に迫る森議員の質問に対し、的を射た答弁ができてません。あえてはぐらかしているのなら相当なレベルの政治家?だと言えるでしょうが、この答弁内容ではちょっときびしいものがあります。

菅さんにしても、海江田さんにしても、高木さんにしても、本当に心から残念ですが、答弁を聞く限りにおいては、「初動に問題はなかったのか」疑念を抱かせる答弁内容でした。この動画を見て、もうちょっとしっかりしてほしいと思うのは私だけではないはずです。

ただ、森議員ご自身も認めておられることですが、原発における問題は自民党も無縁ではありません。また、自民党が与党であれば、彼女がこのような舌鋒するどい質問をするのを許されたかは疑問が残ります。そうでないことを祈るばかりです。

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2011年6月20日 (月)

0341- 110620 日本が産油国になる日

筑波大学大学院 渡邉信教授の研究対象は「藻」である。それも石油を作り出す能力がある藻だ。オーランチオキトリウムとボトリオコッカスがそれである。

前者は人間のし尿など、有機物で増え、後者は二酸化炭素と日光で増えていく。日本の全ての石油をまかなうには、前者で2万ヘクタールの土地があればよいと言う。

藻は乾燥させればそのまま火力発電所で燃やすことができるし、石油を精製して取り出すこともできる。

CO2の問題はボトリオコッカスが解消してくれる。この藻の大量合成には二酸化炭素が欠かせないからだ。ボトリオコッカスから石油をしぼったかすは、オーランチオキトリウムのための有機物となる。

日本はエネルギー戦略を大きく見直せるのだ。こういったものに、コージェネレーションシステム(ミニ発電所を各市町村に作り、その廃熱まで利用し各世帯に給湯。エネルギー利用効率を80%まで高める)、慶應大学武藤教授の温度差発電(地熱、温泉利用)などを組み合わせてもおもしろい。あとは一刻も早く工業化をするだけである。経済産業省には原発推進から一歩踏み出し、日本がエネルギー大国になる可能性を後押ししてもらいたい。

これは夢物語ではなく、現実に起こっていることなのだ。地震の巣の上での原発運営は超危険であるとわかった今、結局は原発は超高コストであるとわかった今、そして子孫に放射性廃棄物の処理を押しつけるという具を犯さず済む方法が見つかりつつある今、日本が産油国になれるチャンスがあるとわかりつつある今、原発を国策として徐々に無くしていくという決断をするのも、国のリーダーとしての在り方であろう。ウランとて少なくなりつつある。日本が新エネルギーの覇権をにぎれるかどうか、正念場に来ている。




太陽光だけではない。風力だけではない。

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2011年6月19日 (日)

0340- 110619 ガンマ線のみの計測

http://lookatgame.com/view.php?video=C7iP0cx37hM&feature=youtube_gdata_player&title=福島県立医大郵便局前駐車場で放射線の種類を調査

放射線には、α、β、γ線がある。アルファ線はプルトニウムなど。ベータ線はストロンチウムなど。ガンマ線はセシウムなどである。

このうち、県などの放射線測定は、ガンマ線しか測定していない。アルファ線と、ベータ線は一切考慮されず、ガンマ線のみ結果が公表されている。

上記のアドレスには、5月26日、県立医大周辺での測定データを示す動画がある。それによると、ガンマ線は300CPM、ベータ線は3200CPM、アルファ線は200CPMで、アルファ、ベータ、ガンマすべて検出された。ベータ線が飛び抜けて多かった。ガンマ線しか測定できない県などの自治体所有の機械では当然測定できないことになる。また、アルファ線は、紙一枚で遮蔽できるほど弱く、外部被曝だと特に考慮する必要はないのだが、微粒子を体内に取り込み、常に内部被曝が起これば話は別である。

県はどうも、ガンマ線だけではなく、アルファ、ベータまで含めた線量を発表する必要があるのではないだろうか。

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0339- 110619 海江田という人

「原発を再開してほしい。適正な安全策はとっている。」 

そう言って先日福島県を訪れたのは、海江田経済産業大臣であった。 何を考えているのか? 事故の検証も終わっていない。何より、メルトダウン、メルトスルーと悪い方に悪い方に外れている、政府の対策に対する信頼は限りなく低い。なにをもって安全だと言い切っているのか? 明らかにされていない。 非常に根拠に乏しく、原発事故がまた起こりかねない中、再開を促すとは。 また、よしんば安全だとしても、原子力災害で苦しんでいる福島に「原発を再開してくれ」とはいったい? 

「日本の経済界のために、福島は犠牲になってください。 」そうとらえる人も多いだろう 。そのリスクを考えれば、原発はかなりの高コストの政策であった。京都大学の小出先生等によれば、汚染度が高い地域には今後数十年は人が住めない。(避難民の多くが戻れないのだ。戻ったとしても、ガンをはじめ多くの病気との戦いが待っており、どちらにせよ厳しい現実が待っている)普通の線量に戻るには100年だそうである 故郷を喪失し、仕事を失い、生活がめちゃくちゃになる。福島、二本松、郡山などは避難地域に指定されていないがゆえにさらにいっそう、不安だ。いわきであっても公園などで子どもを遊ばせることにためらいがある。また、郡山市の子ども達の間で、鼻血がものすごく増えていると東京新聞6月16日付け報道であった。内部被曝し、健康被害が出ないか、心配である。 放射性物質の飛散は茨城、千葉にとどまらず、東京、静岡などにも至っている。東京のホットスポットも線量が高い。福島の観光業などは大打撃で、多くの旅館などがつぶれるだろう。(避難民受け入れでかろうじて食いつないでいるだけである)食の安全も問題だ。静岡のお茶からセシウムが検出されたのは記憶に新しい。今後国が支出する金額は天文学的数字になる。それらは全て税金である。原発のコストが安いという神話は完全に崩壊した。

いったん事故がおこれば、国家レベルの災害と化す。ところがIAEAの勧告にもかかわらず準備を怠ってきたのが現状である。本日の新聞を見ると、斑目委員長の反省の弁が載っていた。反省しないよりよいが、代償はあまりに大きすぎた。これ以上の犠牲は勘弁してほしい。「想定外」という言葉で事故の免罪符としないでほしい。 

「ノーモア広島」という言葉があったが、正しくは、No more Hiroshimas だそうだ。sをつけてはじめて、繰り返しませんという意味になる。 今後は No more Fukushimas となりそうだ。
No more nuclear power plants でもある。

人がオペレートする限り絶対はありえない。「想定の範囲内」で対策はこうじるかもしれないが「想定外」には全く機能しない。当分水力発電、火力発電、地熱発電で発電していくしかないだろう。地震と断層の巣の上に生きる日本人。日本が生きる道は再生エネルギーの効率を高めていくしかないと思えるのだが。「脱原発はヒステリー」とのたまった石原議員もいるが、ヒステリーでもなんでもない。日本人につきつけられた現実なのだ。

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2011年6月12日 (日)

0338- 110612  6千分の1

朝日新聞 

東京電力福島第一原子力発電所で最初に水素爆発があった3日後、原発から約50キロ離れた福島市内の雑草から、1キログラム当たり100万ベクレルを超える高い放射能が検出されていたことが分かった。福島県は政府に連絡したが、公表されたのは、翌日に別の場所で測った6千分の1ほど低いデータだけだった。県は「意図的に公表しなかったわけではない」としている。





 

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0337- 110612 分詞構文指導の提案

日本の文法の準教科書には分詞構文についての練習問題が必ずある。ここにいくつか提案しておきたい。

分詞構文は、あいまいな文意にわざとしている。書き換え問題の是非は置いても、少なくとも、1文でいいから文脈を与えるべきです。文脈を1文でいいからつけるとともに、表現形式がちがえば、何が違ってくるかも明記してほしい。さらに言うと、文法教科書は「うすもの」という概念のため、ページ数が限られて、十分な練習ができないとしたら本末転倒と言わざるを得ない。文法の教科書のありかたをいまこそ考えるべきときかもしれません。


さて、分詞構文である。

分詞構文はコロキアルな場面で使われることもあるが、「同時」の意味のときがかなり多いのである。あとは小説などの描写に多く、契約書や論文などかたい文書には使われない。理由としては、論文などではわざとあいまいな書き方を選択することはあり得ないからだ。普通に接続詞SVで書く方がよほど明確である。分詞構文は小説などで、描写を生き生きさせるために、動作の連続、同時性のある状況をつたえるため、よく用いられていることを生徒に伝えるべきであろう。一方生徒の場合、英作文の時はミスする可能性が非常に高く、分詞構文ではなく、接続詞SVを使うことをすすめたい。

分詞構文の書き換え問題がダメだと言ってみたところで建設的な提言とは言えない。

書き換え練習をさせるにあたっての注意点を考えてみた。
1)理由  2)2つの連続した動作  3)同時性のある動作、状況 4)時  についてのみ文脈を与えた上で接続詞SV→分詞構文  書き換え問題を許してはどうか。この4つの意味がメインである。さらに、この中でも 前の3つがメインとなる。 ただし、3)の書き換えはandでは不可能な場合があることにも留意して生徒に問題を与えたい。 4)時 の場合は、他の意味にもとれてしまうことから、分詞にwhen, while, on などを残しておくよう(本来は分詞に付け加えたもの)指導した方がどうもよさそうだ。

分詞構文→接続詞SVへの書き換え練習はどうだろうか。Seen / Seeing  from a distance, the rock.... などの問題があるため、これもしょうがないだろう。しかし「岩が見てるの? それとも岩は人によって見られるもの?」という発問でも十分な気がする。す                                                                       

さらに条件と譲歩については、極めて少ない。この場合、ifや、thoughなどと一緒に使うほうが自然と指導した方が良いかもしれない。

独立分詞構文にも触れたい。「明日雨がふれば」It being rainy tomorrow, など、どんだけ使わないものを書きかえ練習させるのだという思いは強い。If it rains tomorrow,で十分。There being....なども不要。もっと使えることを覚えさせればいいのに。独立分詞構文は、小説などで、連続する行為や出来事を滑らかに描写する場合に多く見られるのです。ならばそういう状況で練習させるべきでしょう。(ただしかなり難易度は高くなるのでやらなくてもいいかも) "I don't want to hear any more, "said Kate, tears flooding down her cheeks. 

独立分詞構文でも、withを使った付帯状況のパターンは学習させる価値がある。He sat on a chair with his legs crossed.  独立分詞構文の前にwithをつけて、同時性や連続性を示すことがある。いわゆる付帯状況のwith。これと、withがない、He sat on a chair, his legs crossed.では、前者が同時性を強く感じさせるのに対し、後者はカンマで区切れている分少し同時性が損なわれる感じがするそうだ。 まとめると、独立分詞構文については、It being rainy...などとやるくらいなら、まず付帯状況の確認練習をしてから、withをはずした形での指導をすればよいのにと思う。

完了の分詞構文はこれまた、使わない。理由は、前後関係がはっきりしている文を分詞構文にすると、起こった順番に書くことが普通なため、普通の分詞構文で十分代用ができるためである。完了の分詞構文を書かねばならない時とは、主節が完了の結果であるような時だそうだ。  Having spent his childhood in Osaka, Lewis can speak Japanese well.(英語語法レファレンス) そういう形があるから参考書では解説せざるを得ないが、ほとんど使われることはない。

いきなりAからCまで教えることができないから、中間地点のBで、不自然な英語でもいいから変換練習をさせるのだという考えがあるかもしれない。だとするならば、その不自然さは生徒にどこかで伝えないと不幸であると思います。

日本の文法準拠教科書にはずいぶんお世話になりましたが、実は多くの問題があります。すっきりわかる切れる説明と自然な問題練習が一体となった、日本人向けのGrammar in Useの開発は必要です。ただ、あらためてGrammar in Useを作るのもいいのですが、既存の準拠教科書を変える形でやるのも一つの手です。既存の会社さんはどこも腰が重いです。そこそこ売れているものを改変する必要を感じていないからです。これは採用する側の教員も、識別眼を求められているということでもあります。教員が採用するものを彼らは作って売るわけです。彼らにもビジネスというものがありますからね。

どこもやらないなら、アルクさん、やっちゃいましょう。

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2011年6月11日 (土)

0336- 110611 村上春樹氏のスペインでのスピーチ

Youtubeにあります。

日本人なら見るべきです。翻訳しやすいわかりやすい言葉で、日本人の無常観や、震災、原発について、深い内容のことがらが語られています。やはり村上春樹はすごい。

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0335- 110611 分詞構文の位置

よく考えれば、なんで分詞の副詞用法だけを分詞構文と言わねばならないのか。形容詞用法だって、構文なのにね。これは翻訳の問題だそうです。余りよろしくないですよね。

さてVingやVppの位置ですが、
1)文頭 2)Sの直後 3)文尾 に来ます。しかし、いつでもこの3つの位置に自由にこれるのではありません。ここを今回は見ていきましょう。

英語の参考書と誤りとその原因をつく (大修館書店 河上道生)によれば、

He was surprised when he heard the news.
を He was surprised , hearing the news.とするのは間違いだそうです。

原則、起こった順番に述べる必要があるからです
つまり、「聞いた → 驚いた」 の順番です。

したがって、Hearing the news, he was surprised. ならOKとのこと。
あるいは、Onをつければ、文頭でも文尾でもOKとのこと。
On hearing the news, he was surprised○
He was surprised , on hearing the news.○

聞いた→驚いたという語順が正しければ次の文もよさそうに思える。
He , hearing the news, was surprised. 
ところが、人間が代名詞になっている場合、主語の直後に分詞構文が来るのはないことはないが、避けた方がよいのだ。きをつけたい。

分詞構文を使わず、He was surprised to hear the news. あたりが一番自然とのこと。(笑)


次に文Aと文Bのどちらを分詞構文にするかという問題。

He picked up a stone and he threw it at the dog.

この場合、行動の主、従で考えます。ひろったのは、従、投げたのが主と考え、pick upの方を分詞構文にします。Picking up a stone, he threw it at the dog. また、順番的には、pick up→threwなので、 He threw a stone at the dog, picking up a stone.は完全な間違いとなります。 

では、「した状態で、〜しながら」の意味ならばどうでしょう。これは同時を表します。
Wearing his old blue suit, my father stalked into the room.
My father, wearing his old blue suit, stalked into the room.
My father stalked into the room , wearing his old blue suit.
これらは皆OKです。この場合、wearingは付帯状況を表し、stalkedが主になり、stalkedは分詞では表しません。 stalking..とすると、このようなマネはほとんどの人がしないし、不可能にでしょう。(一方が状態動詞であることも判断の理由)

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分詞構文の読解指導

現在生徒には、速読用と読み方と、精読用の読み方を分けるように指導しております。
速読用の読み方は、とりあえず、「そして」と訳しておけというものです。

 Not knowing what to do,  I was standing still.
  どうしていいかわからなかった(それで)じっと立っていた。 

 Walking along the street, I found a wallet.
  道を歩いていた(そして)財布を見つけた。

 The baby was born / with a silver spoon in his mouth.
   赤ん坊は生まれた  そして 銀のさじをくちにくわえていた

 これで速読の場合は十分。精読の場合は、訳にもう少し気をつけます。
 「して、しながら、とき、ので、そして、もし」から選びます。

 場合に応じて読み方を変えるわけです。この方が合理的。

 しかし、本当に、「それで」でいいの?という人のためにもう少し話をしましょう。

 While I was walking along the street, I found a wallet.
  While walking along the street, I found a wallet.
  Walking along the street, I found a wallet.

  上記の3つの表現のうち、一番、2つの動作が同時に行われたという意味合いが強いのはどれでしょう。答えは、3つめの文です。1つめの文が最も、2つの動作が分離されて行われた感じが強くなるそうです。その中間が真ん中の文。(田中茂範先生によれば)

 同時なわけですから、andでも十分なわけです。

 ついでに言うと、分詞構文を使う場合には、おこなわれた順番に言うのが正しいのです。
 歩いていた そして みつけた の順ならOK。でも、
 みつけた → 歩いていたとき はよろしくないということです。



 

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0333 110611 講演会で感じたこと

本校で林真理子氏の講演があった。氏の仕事論、人生論の話であった。最初は面白いが、どうもケーハクかなという感想をもった。しかし、よくよく内容を考えて見ると、かなりすごいものが潜んでいると思い返したのである。内容をここにまとめておきたい。氏の話から学んだこと、感じたことは3つある。

1 人の不幸、コンプレックスはものごとを深く考え、行動する原動力になる

  氏は強烈なコンプレックスをかかえて生きてきた方である。「なんでこんな田舎に生まれたのだろう、ここは私がいるべき場所ではない。」自分の不幸を考え、幾晩も涙したと言う。氏がすごいところは、ここで終わらなかったということだろう。「不幸」を常に感じているが故に自分がどうしたいのか、どうあるべきなのかを常に強烈に考えた。そしてこの時間は無駄にはならなかった。その後の人生を生きる上での強烈なエンジンになっていったからである。コンプレックス、不幸をはねのけようともがいて、考えて、考えた経験が今の氏のコアの部分を形成しているといっても過言ではないだろう。物書きにとっては、順風満帆な何不自由ない生活より、はるかに「よい?」生活環境だったと言える。本当に何が幸いするかわからない。いわきをはじめ、東日本では地震、津波、原発と苦しみの連鎖の中にあるが、その中で悩み、考えたことはけっして今後の人生でムダになるものではない。逆に「考えず」にこの経験を済ますこと、行動を全くともなわないことこそもったいないのだ。氏の講演からは勝手にそのようなメッセージを感じた。さて、コンプレックスの果てに氏が描いた願望は一見ケーハクなものである。都会のきらびやかなところで自分が活躍している姿がそれであった。「人のために自分の人生を生きよう」とか、そんな感動的な話ではない。ここは確かに講演会としてはものたりない部分でもあったが、しかし、氏の語った理想の自分の姿はかり具体的であり、ビジュアル化しやすい目標であった。「動機」が何であれ、絶対成功してやるという強烈なエンジンを手に入れていたわけである。実はこれってビジネス書では成功する人間の特徴としていの一番に書かれてあることなのだ。成功する人間は、凡庸な人間とはやはり違うのである。

2 行動 と 自己実現

 氏の講演を聴いていると、あきない。これは話術が長けているせいもあるが、非常に経験が豊かで、エピソードにことかかないことが大きい。これは、氏の行動力のすごさを示している。氏は行動の人である。若い頃は南海キャンディーズのしずちゃんに似ていたと述べる氏は、入社試験では面接すらまともにしてもらえず、(コンプレックス、不幸であるが故にネガティブオーラを出しまくっていたのかもしれない。)すべて落ちたそうだ。注目すべきはその数である。100社!である。めげてもめげてもトライする力。そのあと、知人に教えてもらったコピーライターの仕事に就き、糸井重里氏の事務所をへるも、コピーライターとしては挫折。自分が向いているのは物書きだと見定め、背水の陣をしいての執筆のはてに処女作が大ヒットした。その後TVマスコミで仕事をする。この状況に危機感をいだき、執筆活動に専念し、今の成功を収めている。ネットに逃げ込み、世間との関わりを絶っているひきこもりとは対照的な人生を送っている。失敗しようが、なにをしようが、理想の人生をもとめて、行動、行動、また行動である。スティーブジョブスがスタンフォード大の卒業祝賀スピーチで言っていることをおもいだした。「そのときはなんのためになるかわからなくても、あとから思い返したときに、点と点が線になってつながってくることがあるのだと。」氏の経歴を見ると、そのどれもが必要不可欠で、どれかが欠ければ今の氏がなかったように思われる。自分の究極の目標をもつこと。そして今やりたいこと、やるべきことを全力でやっていく、そしてトライを恐れない。

行動力だけではない。判断力もすぐれていた。氏は華やかなマスメディアの中で自分を見失わなかった。自分の特性をしっかり見定めている。CMやTVで売るのではなく、「物書き」こそが自分がもっとも自分のもとめる理想に近いものと判断をくだし、TVと決別し、小説で自己実現していく。氏は賢い。一流になるためには、自分のもっとも好きなこと、強みで勝負すべきだと知っていた。一流になるにははんぱなことではなれない。一流を維持する努力もすごい。氏の執筆量、仕事量のすさまじさはすごいものがある。しかし、自分が得意とし、好きなことなら耐えらるのだ。人生で一番すきなことを見つけられて仕事にできれば、それだけで人生の8割ぐらいは幸せになったも同然なのだ。

3 ひととのつながりを大事にすること

氏はエンジンゼロ1という日本の著名人の会の代表副幹事をしている。また次の代表幹事になることも内定しているそうである。氏が講演で語っていないことであるが、どのような人物ならそうなれるだろう?すくなくとも日本の著名人に認めてもらう必要がある。私は、人とのつながりを大切にする人ではないかと思う。氏と交流のある、秋元氏はどんな小さな約束も守ってくれるそうである。また氏もそういう人間でなければ、逆に幹事としては認められないだろう。人と交流し、人とのつながりを大切にする。ネットの世界はたしかに便利だが、リアルを大切にできない人間が成功するとは思われない。現代日本にはなんと、一人焼き肉なるものが存在するらしい。人間関係の不得手、ここに極まれりという感じではあるが、氏が言うにはネットには本当に大切な情報はないのである。成功したければ人とどんどん会うこと。その関係を大事にすることであろう。

林さんが伝えたかったことは、生きる力=なにがなんでもと奮起して人生をつかんでいく力をもてといいたかったのかもしれません。これって下流の宴のテーマでもあるような気がします。

 

最後になりますが、忙しい中、本校のために時間を割いていただき本当にありがとうございました。

P.S. 観察をし、観察をもとに考察をすごくする人であるという印象も持ちました。それでなければおもしろい話は書けないでしょう。

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