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2008年3月26日 (水)

0134 - 08326 motivation

送別会に出てきました。仲間である先生がたと離れるのはさみしい限りですが、新任地でもがんばっていただきたいと思います。いつまでも話のつきない、いい送別会になりました。

閑話休題、音楽の先生と送別会で席が隣になりました。何度も吹奏楽の全国大会等で最優秀の賞をとられている方です。コツはなんでしょう?と聞きましたら、こうお答え下さいました。「やりなさいといわないこと。ただし「このレベルでほんとうにいいの?」と問い、自分で答えを出させること」「時間内でやらせること」「教えすぎないこと。生徒がもう少しやりたいなと思ったところででとめること」「自分が成功しているとしたら、生徒に自分から「やりたい」と思わせているから。英語もそうじゃないの?」

どきっとしました。「英語がもっとできるようになりたい」と生徒に思わせているか。motivateしていないならそれは「教育」と呼べる物ではないとその先生はおっしゃっている気がしました。なんでも教師に頼るのではなく、自分から方法を探し、解を求めていく努力をする人間を育てることが教師の存在意義。「受験にパスできる」=「英語が好きになる」ではないでしょう。一方、好きになってもらえれば、勝手に自分から勉強し出します。好きだから、英語が使えるようになりたいから英語を勉強するのならば生徒は教師がいなくとも(または別の教師をさがして)無限に勉強していくことが可能になります。ただ指導者には確固たる信念と、情熱と、計画性、知識、指導力が求められるのは言うまでもありません。(それがないと生徒はそもそもついてきません)

大学入試は3年間かけておこなうものですから、模試のデータではあらわれますが、勉強の結果はなかなかみえずらいものがあります。一方で、音楽の大会は毎回結果がでます。モティベーションの強さは全く違うと思う人もいらっしゃるかもしれません。

ではどうしたらいいのでしょうか。音楽の部活の指導は、英語教師にとっては授業に相当します。授業のなかで、綿密に練られたsmall step活動を通し、生徒に授業前より「わかった! できるようになった!」という瞬間を持たせること。「でもこんなものじゃダメ。やっぱりもう少し上のレベルまでできるようになりたい!」と教師が思わせることができるかどうかが勝負だと思います。入試の合格はそのような積み重ねの結果としてあるものと考えたいです。でなければ、大学に入ったとたん、英語の勉強をやめてしまう大学生を増産することになってしまいます。達成感を作り出すこと、自己肯定感を作り出す授業。生徒が自分で走り出す授業。

「大学入試の指導をしながらそれができないか。」

そんなものを目指していきたいと思った送別会の夜でした。


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2008年3月 5日 (水)

0133-080305 アップルストア銀座

アップルストア銀座店に行ってきて、MacbookAirと、Macbookを触ってきた。MacbookAirはデザインはさすがに美しい。アルミの剛性感もあり、丈夫な印象を受けた。画面も明るくキレイ。ただキーボードはMacbookの方が上。Macbookのキーボードは Macbook Proより打ちやすい。すぐれたキーボードだ。MacbookAirだが、周囲の人々の反応を見ていると、やはり USBが2つ欲しい人が多いみたいだ。もし可能なら次期バージョンでは Air USB をぜひ搭載して欲しい。無線のUSBという意味である。写真データや動画のデータ、スキャンスナップのデータ、ipodのデータ、外付けDVDドライブのデータを無線で読み書きできるようになれば素晴らしい!と思う。どうせならここまでやってほしい。また、HDの容量は少なくとも120GBまで増やして欲しい。メモリも2GBか4GBか増設できるようにしてほしい。CPUは、1.6 、1.8 GHzだとブラインドタッチしたときにWordだとひっかかりが感じられ僕には不快だった。2.2GHzは欲しい。無線でのUSBを搭載も見据えてもっとパワーを!という感じがする。以上の不満点が解消され、なおかつ22万なら買う。デザインは現行のMacbookとMacbookproはたちうちできないほど美しいのだから。

Macbookはかなりお買い得感が増した。なにしろ250GBのHDに 2.4GHzのCPU。Macbookproと処理速度はそれほど変わらない。キーボードが秀逸なのもよい。ただひっかかることが3つ。一つは素材。ポリカーボネイトは丈夫で軽いが、環境には悪い。できれば使いたくない。アルミにならないものか。つや消しのブラックアルミならすごくクール。これでMacbookのもう少し薄いやつがでたら即買いたい。(アルミも環境には悪いとの説もあるが)2つめは液晶。文字入力が多い僕はノングレアが好きだ。Macbookでも選べるといいのだが。3つめには6月に新CPUがインテルより発表される。それにあわせてMacbookもデザインがリニューアルされる可能性もある。Macbook Airが新デザインの標準だとすればもっと美しいMacbookやMacbookproを選べるかもしれない(期待)それに現行Macbookではipod touchのようなジェスチャーが使えないが、6月になるとタッチパッドが変更され使えるかも、だ。

パソコンは買い時が難しい。早く買ってレパードに移行したい。。。ま、10.5.3になれば今以上にかなり安定するでしょうからそれを待つことにします。

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0132-080305 速読と精読

リーディングの成績を上げるには、概要をとらえる練習と速読の練習の両方が必要であるようだ。今日、本校に来たベネッセの方から聞いた話だ。GTECの結果によると、リーディング力が伸びている学校は速読のための時間をとり練習させ、英語1や2、Readingではパラグラフ構成についても触れ、概要をとる練習もさせているとのこと。考えてみればセンター入試は処理速度重視型だ。とにかく早く情報を読み取れないと話になれない。従来型の構文至上主義の精読onlyでは成果は上がらない。また、木をみて森を見ずでもダメだ。なんの話をいましているのかがわかれば、つづきがどうなるのか理解も深まるというものだ。

スキャニングの練習では、まず問題を先に読む。次にパラグラフごと線をひいてわける。パラグラフごと読み、答えられる問いがあれば答える。答えられなければ次のパラグラフを読む。答えられる問題に答える。というプロセスがもっともよいだろうと思う。

次に概要をとらえる練習だが、これはパラグラフ構成の知識の有無と関係してくる。英語1や英語2では単に訳するだけでなく、パラグラフ構成の学習に適したところを選び出して、集中してやらせる必要がある。もちろん週末課題もそれに即したものをだし、次のレッスンでも自力でやらせてみる。そのために2つほどパラグラフ構成をとりやすいレッスンを連続して配置する必要がある。(毎レッスンにおいてもレッスン全体を通した速読プリントとパートごとの精読プリントを用意してやらせればよい。)

そのためには2年生までに構文学習は一通り終えておく必要がある。2年では徹底的に自力で構文をとらせる訓練と、その方法を教える必要があるだろう。(パラグラフ構成学習も1年次2年次より計画的に組み込む)


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2008年3月 4日 (火)

0131-080304 組合活動とスト

某北の方の教職員組合が退勤時間1時間前にストライキを行い、道教委から指導を受けた旨のニュースを聞いた。

まず自分たちの意見を通すために法に抵触する方法を使うのは賛成できないと申し上げる。勤務時間が終わってから正々堂々と帰るべきである。

H教職員組合は、いじめ調査に反対したり、AED設置に反対したり、常識的に考えて首をひねりたくなるようなことをしている。私も自分の教え子で、運動中にボールが胸にあたり、心室細動を起こして亡くなったものがいる。AEDがあれば助かったケースだ。このような命にかかわることは施策のトップに来てしかるべきであると思う。自分の子供がそうなってAEDで助かったとき、彼らはなんという
のだろうか?

いじめ調査反対にしても、明らかに調査されると困るような指導しかしていない教員が反対に回っているのでは?と冷ややかな目で勘ぐられるだけである。学年レベルで解決できないなら管理職にも入ってもらって解決を図るべきだ。変に隠すと重大な事件につながりかねない。

私は組合活動自体は否定しない。スト権がないからこそ、活動を通して自分たちの要求、意見を伝えるのは重要だと考える。ただその伝え方は間違えないようにしたい。県のやること(査定による給料の決定)が意に染まないことだからといって私たちが法を破っていいということはない。県に意見を伝える方法はもっと他にあるはずだ。それに裁判をしても勝つ見込みがない方法を取るのは愚の骨頂であり、このような見識しかない組合トップを擁する教員の方々は不幸ではないか。

福島も教員の労働条件は悪くなる一方だ。給与カットの連続である。ガソリン税の問題もからみ、県の財政状況は非常に良くない。かと言って、教育に金をかけない状況が続くのは好ましいことではなく、教育に金をかけない県がうかびあがることもない。

こうなった原因を考えてみよう。地方自治体の財政状況が悪化した原因である。根本の原因は官僚に特別会計という特別な財布をもたせて自由に使わせてきたことにあると思う。夕張は住民が議員が行政のチェックをせず、住民も人任せにしてきたからああなってしまった。私たち国民ができることは、特別会計をなくし、すべて一般会計に組み込み、お金の使われ方を透明化すること。われわれ国民が官僚の天下りと、税金の出し入れをチェックするところから出発しなくてはどうにもところまできてしまっている。

H教職員組合はまず成果として全国学力テストで上位に入るようにしてみたらどうか。その上で県教委と渡り合えば有利に話が進むであろう。交渉のためには勝てる条件がないといけない。また、教育環境を守るため、どうせやるなら、いじめ調査の反対とかみみっちいことをしないで、官僚の天下り反対運動と、特別会計をなくす運動を行ったらどうか。ここにかぎらずすべての教職員組合でおこなったらよい。これは特定の政党を支援することではないのでできると思う。全国で特別会計をなくし、天下りを規制することに賛成する政治家を選ぶようにする。税金のむだ遣いをチェックし、教育活動に正当に予算が回るようにする。これは政治活動ではない。わたしたちの教育活動を保証しようという活動の一環である。

つまるところ、教育に関する問題の多くは税金の使い道をどうチェックするかの問題と密接に関連しているのだ。

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2008年3月 2日 (日)

0130-080302 牛

もう20数年前のことです。中学の担任の先生が卒業にあたって贈ってくれた詩です。
今でも感動したことを覚えています。こういう人間になりたいですね。そして生徒に
高村光太郎さんのこの詩を贈りたいと思います。

卒業おめでとう。

 牛


牛はのろのろと歩く

牛は野でも山でも道でも川でも

自分の行きたいところへは

まっすぐに行く

牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない

がちり、がちりと

牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし

やっぱり牛はのろのろと歩く

牛は急ぐ事をしない

牛は力一ぱいに地面を頼って行く

自分を載せている自然の力を信じきって行く

ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はって行く

ふみ出す足は必然だ

うはの空の事ではない

是でも非でも

出さないでは堪らない足を出す

牛だ

出したが最後

牛は後へはかへらない

足が地面へめり込んでもかへらない

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

牛はがむしゃらではない

けれどもかなりがむしゃらだ

邪魔なものは二本の角にひっかける

牛は非道をしない

牛はただ為たい事をする

自然に為たくなる事をする

牛は判断をしない

けれども牛は正直だ

牛は為たくなって為た事に後悔をしない

牛の為た事は牛の自信を強くする

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く

何処までも歩く

自然を信じ切って

自然に身を任して

がちり、がちりと自然につつ込み食い込んで

遅れても、先になっても

自分の道を自分で行く

雲にものらない

雨をも呼ばない

水の上をも泳がない

堅い大地に蹄をつけて

牛は平凡な大地を行く

やくざな架空の地面にだまされない

ひとをうらやましいとも思わない

牛は自分の孤独をちゃんと知っている

牛は食べものを又食べながら

ぢっと淋しさをふんごたへ

さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く

牛はもうとないて

その時自然によびかける

自然はやっぱりもうとこたへる

牛はそれにあやされる

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ

思い立ってもやるまでが大変だ

やりはじめてもきびきびとは行かない

けれども牛は馬鹿に敏感だ

三里さきのけだものの声をききわける

最善最美を直覚する

未来を明らかに予感する

見よ

牛の眼は叡智にかがやく

その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく

形のおもちゃを喜ばない

魂の影に魅せられない

うるほひのあるやさしい牛の眼

まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼

永遠を日常によび生かす牛の眼

牛の眼は聖者の眼だ

牛は自然をその通りにぢっと見る

見つめる

きょろきょろときょろつかない

眼に角も立てない

牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ

外を見ると一緒に内が見え

内を見ると一緒に外が見える

これは牛にとっての努力ぢゃない

牛にとっての当然だ

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く

牛は随分強情だ

けれどもむやみとは争わない

争はなければならない時しか争はない

ふだんはすべてをただ聞いている

そして自分の仕事をしている

いのちをくだいて力を出す

牛の力は強い

しかし牛の力は潜力だ

ばねではない

ねぢだ

坂に車を引き上げるねぢの力だ

牛が邪魔者をつつかけてはねとばす時は

きれ離れのいい手際だが

牛の力はねばりっこい

邪悪なトレアドル(闘牛者)の卑劣な刃にかかる時でも

十本二十本の槍を総身に立てられて

よろけながらもつっかける

つっかける

牛の力はかうも悲壮だ

牛の力はかうも偉大だ

それでもやっぱり牛はのろのろと歩く

何処までも歩く

歩きながら草を喰う

大地から生えている草を喰う

そして大きな体を肥す

利口でやさしい眼と

なつこい舌と

かたい爪と

厳粛な二本の角と

愛情に満ちたなき声と

すばらしい筋肉と

正直な涎を持った大きな牛

牛はのろのろと歩く

牛は大地をふみしめて歩く

牛は平凡な大地を歩く


            高村光太郎

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