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2007年9月30日 (日)

00083-070930 十年研講師

教職10年目を終えた先生方の研修会に講師として行ってきました。

内容は、5人一組でマイクロティーチングを行い、お互いが気付いたことを付箋に書き込んでいくというもの。書いた付箋は授業者に渡します。そして授業者はもらった付箋を自分でカテゴリー化し、自分の授業に何が足りないか、自分で「気付く」というものです。

生徒に教えるのと少し違い、勝手が違いますが、やっていて基本的に楽しかったと思います。理由はやる気のある人と接することができるからです。10年もたつと自分のスタイルは確立されています。しかし、これでいいのだろうかと悩みも出てきます。この悩みは圧倒的に指導法の手駒が少ない新人のころとは全く別の悩みです。これがあるゆえに皆さん本当に一生懸命参加していました。この一生懸命さのエネルギーこそすごく大事ですし、僕が好きなものでもあります。ですからやる気とても楽しいのです。しかも、自分も勉強になります。

官製の研修は自分が講師で、こういうのもなんですが、入り口みたいなものです。つまり普段、考えないようにしている問題意識を顕在化させる手段です。しかし、時間の制約上、また、研修生の勤務先の多様性(進学校から困難校まで)を考えると、最大公約数的なものにどうしてもなります。自分の問題を必ずしも解決できるわけではないわけです。

そこで、自腹を切った、私的な研修にでかけるわけです。研修のテーマを見れば、自分の求める解が得られる研修か否かすぐわかります。公的な研修を入り口として自腹研修を行う。これが研修生に求められていることでしょう。やれと言われて研修するのではなく自ら研修を怠らない、「自立した学習者」に教師自身がならねばなりません。

今回担当した4人の研修生の方々一人一人はそれぞれがよい持ち味を持っていました。それをしっかり伸ばし、よい授業ををしていって欲しいと願っています。

よい授業とは

どれだけ生徒に教えられたかではなく、生徒が自力でどれぐらい授業後にできるようになったか。そして心がどれだけ豊かに変容したか です。そのためにはこちらの人間性も磨かねばなりません。









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2007年9月12日 (水)

00082-070912 オウムのAlex

AP通信によると、数字をゼロから6まで発音し、7つの色と5つの形を見分けられた「天才オウム」がこのほど死に、30年の“生涯”を閉じた。研究者らは天才オウムとともに長年トリの頭脳の解明を続けてきただけに、その死を惜しむ声が上がっている。

 アレックスと名付けられたオウムの一種、ヨウムで、米ブランダイス大(マサチューセッツ州)の女性研究者が飼育していた。今月7日、かごの中で死んでいるのが見つかった。死因は不明。

 アレックスは自らの願いも表現できたといい、先月には数字の「7」を初めて発音できたばかり。女性研究者に発した最後の言葉は「良いね。愛しているよ。明日ね」だったという。(共同)

(2007/09/12 17:55)産経新聞

Unicorn にはこのアレックスの話がでている。期末考査が終わったら生徒に英文の記事を配布することにしょう。

I extend my condolences to Dr. Pepperberg. 合掌。


http://scienceblogs.com/grrlscientist/2007/09/alex_the_grey_parrot_colleague.php

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2007年9月11日 (火)

0081-070911 Young as he is,をどう教えるか

Young as he is, he can do that.は倒置ではない。

最近知ったことです。

実はas自体に譲歩の意味があるのではなく、
分詞構文が省略されているとのことです。
しかもこのasは、as....as...の同等比較。2つ
のasのうち、うしろ側の接続詞のasだけ
残ったわけです。

(Being as )young as he is,   
実際そうであるように若いのだが、

これが
Young as he is,と省略されたのだと言います。 

分詞構文なので、当然、内容によって「理由」を表すこともあります。

Tired as he was, he decided not to go out. 
彼が実際そうだったように疲れていたので、外出しないことにした。

さて、どう教えるか思案のしどころです。

倒置と教えた方が簡単ではあります。しかしそれは実際は違うわけです。
英文法を教えるとよくこのようなジレンマにぶつかります。

ちなみに代ゼミの富田先生の「ビジュアル英文読解」では
「後続の語の一部が前に飛び出した特別な形で,,,」という記述です。

「Next Stage」「Forest 」には、倒置とは書かれておらず、うまく?
処理をしていた。ただしなぜこのような形をとるのかの説明はなし。
譲歩としか書かれていない。(Next Stageには、理由の意味もとれる
と書いてはあるが、なぜなのかは説明がない。)

分詞構文であること、as.....as.....構文だったことを説明したほうが、
腑に落ちるかもしれない。ただし説明するのは高校2年後半で、
分詞構文をくさるほど練習したあとがよいと思う。もしその前に
教えるとしたら、「形容詞を前に出しなさい。」「〜だけれど」
の意味になるよ。とだけ教えると思う。よけいな情報をおとして
与えるのも教え方のテクニックの1つだと思う。











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2007年9月 2日 (日)

0080-070901 仮定法未来にはなぜshouldを使うのか?スッキリ。

なぜ、「仮定法未来はshouldを使うんだろう?
未来なのになぜwouldを使わないんだろう?」と
ずっと思っていました。その疑問が氷解しました。

実はshallの意味が「天の意志、運命である」ことが
その理由でした。


willは「その場で決めた意志」であるのに対し、
shallは「神・天の意志。逆らえない運命」です。

I shall return. 
「戻ってくるのが(天が決めた)当然の私の運命。」堅い表現。
I'll be back. 
自分の意志を反映。「きっと戻ってくるよ」気軽な感じ。

Shall I help you ? 
個人の意志というより「私はあなたを助ける運命にあるだろうか?」
遠回しな言い方。丁寧な言い方になります。

Shall we dance?
「我々二人の運命は踊ることになるでしょうか?」→踊りませんか?  
気取った言い方になる。
Let's dance.
「踊ろうよ」気軽な感じ。

shouldはshallの過去形
助動詞の過去形はとおまわしな意味になります。
「〜すべし・当然〜する運命にある」が
「〜した方がいい・〜するはずだ」と意味が婉曲的になります。

仮定法は確定していないことを述べるわけですから、当然、助動詞の現在形
(断定調)をさけ、助動詞の過去形(過去ではなく婉曲)を使って表そうと
します。ちなみに、条件節に助動詞を使ってはならないという決まりはあり
ません。

仮定法未来は単なる未来ではなく、「あり得なさそうな未来です。」
自分でどうとでもできる、個人の意志を述べる(will-would)でなく、
自分ではどうしようもない(shall-should)を使った方が仮定法未来にぴったり
だと思いませんか。

If  shouldは、「もし〜する運命であるなら」を
「万一〜すれば」と訳したわけです。
自分の意志というより、自分がどうしようもない「天の意志」。

If you should see him,   たぶんないと思うけど、もしあなたが彼と会う運命なら
please tell him to call me.   電話するよう言ってください。

ではShall I 〜?はアメリカ英語ではあまり言わないのか。
僕は何かでそう読んだ記憶があります。
アメリカ人は
Do you want me to 〜?と言い、相手の意志を尊重する言い方を好むそうです。

運命 VS 個人の意志。 厳かな言い方 VS気軽な言い方 
英語学習はつきることがありません。
またひとつ疑問が氷解してすっきりしました。

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