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2006年3月20日 (月)

文科省と落札率100%

TVタックル 民主党調べによると,

文部科学省で入札の「落札率100%が2367件」。予算が8000万なら8000万びたっと1円の狂いもない落札が2367件。全省庁の中でダントツのワースト1。これ本当? ありえない。文科省よ・・・・。これって税金ですよね。

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2006年3月18日 (土)

SELHi から英語教育を見る

昨日,文科省主催のSELHi Forum 2006に出てきました。今後何回かに分けて見聞きしたこと,Forumで配布された資料などをもとにSELHiについて書いてみたいと思います。
 初回は,SELHiって何?ということと,その課題・成果についてです。
 まずSELHiとは,Super English Language High Schoolのacronymというかabbreviation です。平成14年度から文科省が指定をした学校に毎年300万の予算をつけ,英語が理解できるレベルではなく,英語が使いこなせるレベルの日本人を作ろうという計画です。今回のエントリーは,ベネッセコーポレーションが配布していた「VIEW 21  SELHi 特集」という冊子を使って,日本の英語教育を考えてみたいと思います。

その1 英語教育界で有名な4人の先生方の話より

SELHiの成果と課題の分析

 

(金谷憲 東京学芸大教授)SELHiは日本の英語教育にとって良き外圧となっている。たとえば私たちが抱える問題の一つは同僚問題。定期テストひとつとっても進度や内容を同僚とあわせる必要がある。新しい取り組みが形になりにくい。しかし,SELHiの導入は教師集団がひとつにまとまるきっかけを与えた。

*エンゾより
 SELHiでの指導は一人二人ではとてもできません。教え方,ワークシートの共有,お互いの授業の見聞き,公開授業といったことがどんどん進みます。指導法がわからなければ一緒に勉強会に出かけたり一挙に情報,技術の共有が進みます。成果をあげないといけませんからね。この結果,ばらばらだった個々の教師が,目標や技能を共有した強力な教師集団に変わっていくわけです。変わらざるを得ません。これがSELHiのねらいの一つでしょう。しかしこれはSELHi以外の高校にとっても本来必要なはずです。SELHiと言う名の黒船をどうとらえるか。教師集団としてまとまれるか否か。SELHi以外の英語教師の力量が問われます。

(金谷)私たち(中教審外国語専門部会委員)が想像している以上に高校には外部からアドバイスを受けるネットワークが整備されていない。

*エンゾより
 英語教師に限らず,教師は自己流になりがちです。授業の中でなぜその活動をさせるのかとか,なぜその順番に活動をさせるのか,理論を持ってやっていない場合があります。ベテランほどカンでやってしまう傾向が強いようです。これはある程度の経験に裏打ちされているだけに「たちは悪い」です。確かにベテランのカンは真実を含む場合があります。しかし「信念」という言葉のもとに,それ以外のことを学ぼうとする姿勢がなくなるのでは問題です。「教師でありつづける資格は学びつづけること」と誰かが言っていました。その通りだと思います。外部(の大学)のアドバイスを受けることにより,プログラム開発をし,効果を検証し,やり方を変えるといった一連の研究開発の流れが校内でできるようになったのです。思いこみではなく,実証データに裏打ちされた Plan Do Check Action (PDCA)のサイクルが確立されたこともSELHiの意義の一つだと思います。教師が自腹を切って勉強するというのは当たり前だと思いますが,一教師という点だけで終わり,なかなか他の教師へ波及していかないという側面もあります。したがって学校をあげて指導体制がとれたということはことのほか大きな意味を持つのです。一方でこれは国の予算がついたから実施できたという方がいるかもしれません。ならば一般校はSELHiのエッセンスを吸い尽くせばいいのです。どうせ税金で行った研究なのですから。 

 

(金森強 愛媛大教授)英語授業の活動が多様化したのはよい。しかし,一つ一つの活動の目標を生徒に伝えていないため,効果があがらない状況も見られる。何のための活動で,どんなことに気をつけて取り組まねばならないか,どう評価されるのか伝えなければならない。

*エンゾ
 これをAssessmentといいます。Evaluationは活動の途中と最後にしますが,Assessment(評価基準)は活動の前に生徒に伝えるべきモノです。これがあるとないとでは生徒のやる気が違います。私が文科省のカナダ研修に行った時も,EFLの先生方は必ずこれをしておりました。)

(松本茂 東海大教授)英語1・2の授業をどう変えるかは大きな問題。SELHiにおいてさえほとんど昔ながらの授業が行われている。

*エンゾ
 SELHi研究は英語科,国際科のみに集中し,普通科ではあまり行われていません。なぜかと言えば,そういった英語科国際科はもともと教育課程上,英語の時間数がたっぷりあるのです。英語の教員枠も多いでしょう。では普通科でSELHiと同じことができるか? 現状ではまだ研究があまりなされていません。これからはいかに普通科でSELHiを行うか,今までのSELHiで普通科に使えるエッセンスはないか論じていく必要があるでしょう。普通科ではかろうじて,千葉女子高校などがSELHiにとりくみはじめたところです。千葉女子校のがんばりに期待です。少数の有能な教師だけができるとりくみではなく,大勢の少し優れた教師が一生懸命取り組めばできる取り組み例を期待しています。

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2006年3月14日 (火)

いまさら スティーブジョブスの卒業祝賀スピーチ

スティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチについて(2005年6月12日、スタンフォード大学において)

 彼のスピーチのうわさは聞いていましたが,先日ようやく読む機会がありました。月並みですが,感動しました。彼の生き方が赤裸々にしかし,ストレートに伝わる卒業のはなむけに最高のスピーチの一つでないかと思います。ぜひ生徒に読ませたいなーなんて思いながら読んでいました。スティーブと訳文を書かれた,市村佐登美さんに拍手!

原文・Video URL : Steve Jobs' commencement speech video from Stanford Univ.
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/grad-061505.html

訳文URL:とむさとう氏
http://blog.livedoor.jp/tomsatotechnology/                   

彼のスピーチの中で一番すきなのが次の言葉。

The only way to do great work is to love what you do.

私もいつもこうありたいと思います。

いいフレーズがいっぱい入っているので,生徒にどのフレーズが一番良かったか選ばせるのもおもしろいかもしれません。

 PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢(よわい)30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐(ちく)されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios

翻訳 市村佐登美

とむさとうのHP

スタンフォード公式URL&録画映像
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/videos/51.html
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

translated texts here are copyrighted to the translator, **satomi ichimura


Transcript of Jobs' commencement speech

Thank you. I'm honored /to be with you / today / for your commencement / from one of the finest universities/ in the world. Truth be told, / I never graduated /from college /and this is the closest <I've ever gotten to a college graduation>.

Today /I want to tell you /three stories /from my life. That's it. No big deal. Just three stories. The first story is about connecting the dots.

I dropped out of Reed College / after the first six months /but then / stayed around / as a drop-in / for another eighteen months or so //before I really quit. So why did I drop out? It started // before I was born. My biological mother was a young, unwed graduate student,/ and she decided / to put me up for adoption. She felt very strongly // that I should be adopted / by college graduates, / so everything was all set for me / to be adopted at birth / by a lawyer and his wife, / except that when I popped out, they decided /at the last minute / that they really wanted a girl. So my parents, /who were on a waiting list, / got a call / in the middle of the night / asking, "We've got an unexpected baby boy. Do you want him?" They said, "Of course." My biological mother found out later // that my mother had never graduated from college //and that my father had never graduated from high school. She refused / to sign the final adoption papers. She only relented /a few months later //when my parents promised //that I would go to college.

This was the start / in my life. And seventeen years later, / I did go to college, / but I naïvely chose a college <that was almost as expensive /as Stanford>, /and all of my working-class parents' savings were being spent /on my college tuition. After six months, /I couldn't see the value/ in it. I had no idea [what I wanted to do /with my life], and no idea /of [how college was going to help me figure it out,] and here I was, /spending all the money my parents had saved their entire life. So I decided / to drop out / and trust //that it would all work out OK. It was pretty scary / at the time, /but looking back, /it was one of the best decisions <I ever made>. The minute I dropped out, /I could stop /taking the required classes <that didn't interest me >and begin /dropping in on the ones <that looked far more interesting.>

It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, /so I slept /on the floor/ in friends' rooms. I returned Coke bottles / for the five-cent deposits / to buy food with, / and I would walk the seven miles / across town / every Sunday night / to get one good meal a week / at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of [what I stumbled into by following my curiosity and intuition ] /turned out to be priceless later on. Let me give you / one example.

Reed College / at that time / offered perhaps the best calligraphy instruction / in the country. Throughout the campus /every poster, every label /on every drawer / was beautifully hand-calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, //I decided / to take a calligraphy class / to learn how to do this. I learned /about serif and sans-serif typefaces, /about varying the amount of space / between different letter combinations, /about [what makes great typography great]. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way <that science can't capture>, /and I found it fascinating.

None of this had even a hope of any practical application /in my life. But ten years later/ when we were designing the first Macintosh computer, // it all came back to me, / and we designed it / all into the Mac. It was the first computer / with beautiful typography. If I had never dropped in / on that single course / in college, / the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts, /and since Windows just copied the Mac, // it's likely // that no personal computer would have them.

If I had never dropped out, // I would have never dropped in / on that calligraphy class /and personals computers might not have the wonderful typography < they do.>

Of course/ it was impossible /to connect the dots / looking forward // when I was in college, / but it was very, very clear / looking backwards 10 years later. Again, /you can't connect the dots / looking forward. You can only connect them / looking backwards, //so you have to trust //that the dots will somehow connect / in your future. You have to trust in something--your gut, destiny, life, karma, whatever--because [believing that the dots will connect down the road ]  / give you the confidence /to follow your heart, //even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference.

My second story is about love and loss. I was lucky. I found [what I loved to do /early in life]. Woz and I started Apple /in my parents' garage //when I was twenty. We worked hard /and in ten years, /Apple had grown /from just the two of us in a garage / into a $2 billion company /with over 4,000 employees. We'd just released our finest creation, the Macintosh, /a year earlier, / and I'd just turned thirty, /and then / I got fired. How /can you get fired / from a company <you started>? Well, as Apple grew, //we hired someone who (I thought) was very talented / to run the company with me, and for the first year or so, / things went well. But then / our visions of the future began to diverge, /and eventually /we had a falling out. When we did, //our board of directors sided with him, /and so /at thirty, / I was out, /and very publicly out. [What had been the focus of my entire adult life ] was gone, /and it was devastating. I really didn't know / what to do / for a few months. I felt // [ that I had let the previous generation of entrepreneurs down], //[that I had dropped the baton //as it was being passed to me]. I met / with David Packard and Bob Noyce /and tried to apologize /for screwing up so badly. I was a very public failure /and I even thought / about running away / from the Valley. But something slowly began to dawn on me. I still loved /[what I did.] The turn of events /at Apple / had not changed that / one bit. I'd been rejected /but I was still in love. And so / I decided to start over.

I didn't see it / then, but it turned out// that [getting fired from Apple] / was the best thing <that could have ever happened to me>. The heaviness of being successful /was replaced /by the lightness of being a beginner again, / less sure / about everything. It freed me / to enter one of the most creative periods / in my life. During the next five years / I started a company / named NeXT, / another company /named Pixar //and fell in love / with an amazing woman <who would become my wife>. Pixar went on / to create the world's first computer-animated feature film, "Toy Story," / and is now the most successful animation studio/ in the world.

In a remarkable turn of events, /Apple bought NeXT  and I returned to Apple /and the technology <we developed at NeXT> is /at the heart of Apple's current renaissance,/ and Lorene and I have a wonderful family together.

I'm pretty sure // none of this would have happened// if I hadn't been fired / from Apple. It was awful-tasting medicine / but I guess // the patient needed it. Sometimes / life's going to hit you in the head / with a brick. Don't lose faith. I'm convinced // that the only thing /that kept me going / was that I loved /[what I did.] You've got to find /[what you love], and that is as true /for work /as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, / and the only way / to be truly satisfied/ is to do /[what (you believe) is great work,]/ and the only way / to do great work / is to love /[what you do. ] If you haven't found it yet, / keep looking, and don't settle. As with all matters of the heart, /you'll know //when you find it, /and like any great relationship / it just gets better and better //as the years roll on. So keep looking. Don't settle.

My third story is about death. When I was 17// I read a quote <that went something like "If you live each day /as if it was your last,//someday / you'll most certainly be right." It made an impression on me, / and since then, for the past 33 years, / I have looked in the mirror / every morning / and asked myself/, "If today were the last day of my life, //would I want to do [what I am about to do today]?" And whenever the answer has been "no" / for too many days/ in a row/, I know// I need to change something. [ Remembering that I'll be dead soon ] is the most important thing <I've ever encountered to help me make the big choices in life, because almost everything--all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure--these things just fall away / in the face of death, / leaving only what is truly important. [ Remembering that you are going to die] is the best way (I know) /to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason <not to follow your heart.>

About a year ago, / I was diagnosed / with cancer. I had a scan/ at 7:30/ in the morning / and it clearly showed a tumor /on my pancreas. I didn't even know //what a pancreas was. The doctors told me //this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me / to go home and get my affairs in order/ , which is doctors' code / for "prepare to die." It means to try and tell your kids everything you thought you'd have the next ten years to tell them, in just a few months. It means to make sure that everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.

I lived / with that diagnosis / all day. Later that evening/ I had a biopsy where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells/ from the tumor. I was sedated/ but my wife, (who was there,) told me // that when they viewed the cells under a microscope, /the doctor started crying, //because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer //<that is curable / with surgery.> I had the surgery /and, thankfully, / I am fine now.

This was the closest I've been to facing death, / and I hope // it's the closest I get/ for a few more decades. Having lived through it, / I can now say this /to you / with a bit more certainty// than when death was a useful but purely intellectual concept. No one wants to die, /even people <who want to go to Heaven > don't want to die /to get there, and yet, death is the destination <we all share>. No one has ever escaped it. And that is as it should be, //because death is very likely the single best invention of life. It's life's change agent; it clears out the old to make way for the new. right now, the new is you. But someday, / not too long from now, / you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic,/ but it's quite true. Your time is limited, /so don't waste it / living someone else's life. Don't be trapped by dogma, / which is living / with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice, heart and intuition. They somehow already know /[what you truly want to become]. Everything else is secondary.

When I was young, // there was an amazing publication /called The Whole Earth Catalogue, / which was one of the bibles/ of my generation. It was created / by a fellow / named Stuart Brand / not far from here /in Menlo Park, /and he brought it to life/ with his poetic touch. This was in the late Sixties, / before personal computers and desktop publishing, /so it was all made / with typewriters, scissors, and Polaroid cameras. it was sort of like Google/ in paperback /form thirty-/five years before Google came along. I was idealistic, / overflowing with neat tools and great notions. Stuart and his team / put out several issues / of the The Whole Earth Catalogue, and then / when it had run its course, // they put out a final issue. It was the mid-Seventies / and I was your age. On the back cover / of their final issue / was a photograph / of an early morning country road, / the kind you might find yourself hitchhiking on// if you were so adventurous. Beneath were the words, "Stay hungry, stay foolish." It was their farewell message // as they signed off. "Stay hungry, stay foolish." And I have always wished // that for myself, and now, as you graduate to begin anew, // I wish that / for you. Stay hungry, stay foolish.

Thank you all, very much.


スタンフォード大学の講義 

Stanford > Heard On Campus > Interview and Speeches にジョブズのスピーチ音声ファイルがあります。要 iTunes

http://itunes.stanford.edu/

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2006年3月13日 (月)

小学英語

小学校で英語の授業は必要か?

私の結論:いりません。というか無理です。

1)児童のための英語授業をどのように行うか国(文部科学省)がグランドデザインをもっているでしょうか? Noです。つまり設計図も何もないのです。

2)小学校の先生は英語の指導ができるか?
 Partly Yes. ですが,一般的にはNo です。
 役人は小学校の先生方がどれくらい忙しいかわかってません。
 プラスアルファの仕事が増えて十分に教材研究できるでしょうか?「うちの小学校ではやっているよ。子供が英語が好きになったよ。」という方,とてもラッキーですね。実際には「小学校6年で英語が嫌いになった。モチベーションが下がった。」という事例をよく聞きます。英語は初心者対象ほど,教えるものの力量が問われるのです。成功例の一つとして現在,あの陰山校長の土堂小学校がクローズアップされていますが,どのくらいの学校であのくらいの指導ができるのでしょう? しっかりした哲学のもと英語が指導できる小学校はまだまだレアケースでしょう。また,なにをもって小学英語の成功とするかはまだ基準さえありません。

 つまり設計図がろくにない状態で,素人(教えていらっしゃる先生方には失礼を覚悟でいいますが)が「マンション」をたてようとするのを国が後押ししているようなものなのです。

 私の住んでいる市では「英語特区」申請を文科省にしました。しかし,県内の7つの地域と比較した場合,学力は相対的に下の方です。他にやることはいろいろあるでしょうに。

 小学校で英語を教えるなら,せめて専門家をしっかり雇って行うべきです。民間委託でもいいかもしれません。小学校のうちにみについた発音はなかなか抜けません。

3)土曜日の授業を減らし,かつ総合学習の時間を増やし,それで英語の授業を入れたら,国語や算数,社会といった重要な科目の授業時間数が減らされます。果たしてそれでいいんでしょうか?私はやるならせめて総合の時間に実施するべきだと思いますが。

4)文部科学省のお役人と働いた経験のある先生からお聞きしたのですが,文部科学省では「国民の3%程度が英語ができれば国は動いていく」と考えているとか。本気で彼らが何かを変えようと考えているとは思えません。大学の先生や,経済界の有識者会議,大臣がそういっているから動いているのでしょう。私は高校の教員ですが,いまいち文科省の話は信用できません。

 小学校英語が世の流れであるのは否定できない事実です。親もそれを望んでいる状況もあるでしょう。しかし,条件整備をしない指導,授業は小学生のうちから英語嫌いを作り出します。それならば,中学の英語の先生を増やし,しっかり少人数で指導したほうが良いのではないでしょうか。民間委託という方法もあります。ただその場合でも授業時間確保という問題が依然として残っています。

 現在中学では英語の授業は週3時間です。行事でつぶれれば週2時間になることもあります。これは外国の学習時間としてはありえない事態です。週に最低4時間は確保すべきです。「ゆとり教育」というのはいったいなんなのでしょうか?教える内容を減らすことでしょうか? 私は内容を減らすことでなく,授業時間を多くしてあげることこそ,ゆとりにつながると思うのですが。

 私は中学で総合学習の時間を無くすか,または土曜授業復活を支持します。今のままでは公教育での英語教育は見限られ,親と生徒は塾にますます依存していく状況になるでしょう。そして塾に行けない子はどうするのでしょうか? 塾に行けない子は希望校に行けなくなるのです。 

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2006年3月12日 (日)

Jammingで辞書ライフ充実!

Jammingはマックやウィンドウズのパソコンで様々な辞書をいっぺんに調べられるすぐれもののシェアウェアです。

 私のパソコンは PowerBook G4 12inch 1.5GHz  Mac OS X 10.4.5 ですが,Jammingを使って,Longman Dictionary of Contemporary English と,Collins Cobuild英辞郎E-DICを一度に検索して使えるようになりました。

 Jamming自体は電子辞書の検索ソフトで,他に,Jamming Dictionary Toolというソフトがあります。これを使って,CDーROMの辞書データをJamming で検索できる形に変換します。

 当初,E-DICの変換作業はいくらやってもうまくいきませんでした。これはメモリが足りないせいであるということが判明。早速デンコードーに行ってPowerBookのメモリーを512MBから1.25GBに増設しました。すると今度は2時間程度で作業終了。めでたくJammingから検索できるようになりました。

 次にとりかかったのは Cobuildです。私のは,Collins Cobuildの第4版についていたCD−ROMを使用。最初,辞書データをインストールしようとしたところ,パソコンに OS9が入っていないとインストールさえできないことが判明。あわてて,PowerBookに付属していたOS9のディスクを探し出し,まずはインストール。が,それでもダメ。OS9をネット経由でアップデートしてはじめて Classic環境が立ち上がりました。ディスクをCobuildといれかえ,インストール開始。今度はうまくいきました。なんとものの数分で変換作業が完了。Cobuildのディスクには,Dictionaryのデータと,Word Bank(500万語のコーパス)のデータが入っていますが,これが両方とも Jammingから検索できるようになったのです。

 最後にLongman Dictionary of Contemporary English。これは2005年発売の上製,CD−ROM2枚付属のものを使いました。(『ロングマン 現代英英辞典[4訂増補版]CD-ROM2枚付[上製版](LONGMAN Dictionary of Contemporary English 4th Edition with Writing Assistant)』(ISBN4-342-78573-0 05年12月発行)というのも2005年より前のCD-ROMの場合,ハードディスクにデータをインストールしても一月に一度 CD-ROM挿入を求められるからです。2005年以降のものなら,月に一度の「儀式」が不要となります。また,この版からは,Mac OS Xに付属の検索ソフトが対応しているのです。!!(パチパチパチ)インストールはLongmanのアイコンをハードディスクにドラッグするだけの簡単なものでした。オリジナルの検索ソフトのできが非常によいので私はJammingへの変換作業をせずにそのまま使っています。このCD-ROMには,Dictionaryのデータの他に100万語のコーパスがついているので一つの単語につき例文が10個程度はでてきます。

 これで,あと英辞郎とジーニアス英和大をJammingで使えるようにすれば完璧でしょう。英辞郎は時事英語に強いですし,ジーニアスは語法,語源の情報が充実しています。E−DICは7つの辞書から例文が検索できる上,日本語からも検索できるので大変重宝しています。例文が非常に豊富なのが特徴です。Longmanと,Cobuildは 英単語の定義当てクイズなどで活躍しそうですし,それぞれのコーパスからは実際に使われた文例が多く検索できます。とても楽しみです。

 Jamming  http://dicwizard.jp/jamming.html

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